窓の中のWILL



―Fifth World―

Chapter:71 「血は水よりも薄いぜ」

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 スカフィードの発言で、景はそれからたっぷり三十秒、二の句が継げなかった。状況が許すのなら博希と五月を即座に叩き起こすつもりでもいたが、今景の全身は、奇妙な寒さにくるまれていた。
「――ぜです」
「ん……?」
景がやっとその口を開くのができたのは、てん、てんと、フォルシーが身体を翻して歩いた時だった。もしかしたらやっと自分の身の上を語りだしたスカフィードと、それを聞いた景に遠慮したのかもしれない。ほどなくしてフォルシーの姿は見えなくなった。しかし、景にはそのことに構っている余裕がなかった。
「どうして。なぜ、なのです。なぜあなたはそんな大事なことを――今の今まで黙って!!」
「言うヒマが」
「なかったとは言わせません。ついでにタイミングがなかったともね。冷静な話、チャンスなどいくらでもあったはずです。それこそ、僕らに【伝説の勇士】となることを打診したそのときにも!」
「…………」
 少しだけ、スカフィードは言いよどんだ。しかし、くいと首を上げると、視線だけは景ではなくライフクリスタルの方向に向けたまま、ぽつりとつぶやいた。
「私がもっと早くにこのことを話していたところで、何か変わっていただろうか? ……」
「……それは……、変わってはいなかったかもしれませんが……」
いや、きっと、変わってはいないだろう。もしかしたらもっと良くないことさえ起こっていたかもしれない。
「けれど、黙っていることはなかったのではないかと思います。スカフィード、あなただって苦しかったとは思いますけれど、事実を知らない人間のほうが、ある意味では苦しいものだと――僕は思いますよ――」
それは紛れもなく景の本音だった。このたった数日間に、自分の身辺に起こった事件で身をもって感じた、本音。
「そう……なのかもしれないな……」
スカフィードは少し肩を落として、大きく息を吐いた。景はそれを見て、付け足した。
「あの、僕は自分の考えをあなたに押しつけるつもりはありません。ただ……あなたがこのことを黙っていたという事実が……僕にとって、今、少しだけショックだった、それだけなんです」
「景」
「……レドルアビデは、このことを……?」
「知っている可能性が、限りなく高い。――奴はなぜか――こことは違う所から来た者でありながら、まるで生粋のコスポルーダ人であるような感じさえ漂わせている。私とマスカレッタ様――姉上との関係を知っていても、おかしくはないと……なぜか、そう、思える」
そのとき景は、声には出さなかったものの、【妙だ】と思った。スカフィードのその言から考えれば、実のところレドルアビデもコスポルーダ人なのではという仮定が立つ。しかし、コスポルーダ人に【戦う】という感覚はなかったはずだ。これはどういうことなのか。景はしばし思案にふけったが、いくら考えても今の段階では答えなど出ないだろう。それで、彼は別の言葉を探した。
「そうなるとスカフィードも王族、ということになりますか……。あなたの傷をえぐることになるでしょうから深くは聞きませんが――」
スカフィードが旅に出た経緯、マスカレッタから預かったライフクリスタル。その話は初めてスカフィードに会ったときに聞いていた。恐らくひとかたならぬ葛藤があったろう。それが、今の景には痛いくらいに解った。
「いつかきちんと話さなければいけないと思っていた。……すまない」
なぜかスカフィードは景に向かって頭を下げた。多分、居たたまれなくなったのだろう。
「謝る必要はありませんよ。……ところで、」
「ところで?」
「どうしますか、このこと、博希サンたちには?」
「…………」
忘れていた、という風に、スカフィードはベッドルームを見やった。今起こして事実を語るほどのことでもない気はする。いや、むしろあの熟睡を覚ましてしまえば、いったい何をされるか想像もつかない。
「――僕から、話しておきましょう」
景は苦笑しながらそう言った。本当はスカフィード本人が二人に告白するのが一番いいのかもしれない。しかし、そうしたところで、博希と五月がどのような反応を見せるか、景には解るような気がした。だから。
「ありがとう」
スカフィードはそれだけ言って、「おかわりはいるか?」と聞いた。いつだかのことを思い出して、景はほんの少し自分の下半身を案じたが、それも一瞬のことで、くすりとだけ笑って彼はカップを差し出した。
 その夜はゆるりと過ぎていった。もともとスカフィードのところに泊まる予定でいた景は、眠り続ける博希と五月にそっと「おやすみなさい」と言うと、自らもスカフィードの用意した布団にもぐった。


 この城に、今は夜中の闇がよく似合う。
 真夜中、デストダは呼び出しをくらってホワイトキャッスルの一室へと足を踏み入れた。もちろん呼び出したのはレドルアビデである。
「デストダ」
「は」
遅々として進まない“砂探し”の件だろう、と、デストダは思った。それでなくとも――理由は、デストダには量りかねたが――レドルアビデの急いた様子は、彼にもよく解っていた。しかし、見つからないのだ。
 本当は、倒された幹部の“砂”の一部は五月が所持している。しかしそのことは当の五月本人しか知らない。博希や景さえ知らない事実である。デストダに見つけられるはずなどなかった。
「申し訳ありません、“砂”はまだ――」
「誰が“砂”の話などしている」
「は? ……」
レドルアビデにそう言われ、デストダは面食らった。それもそのはず、今までは顔を見れば“砂”“砂”と、再三デストダにそうのたまうのが常だったはずの男が、今は“砂”のことをきれいサッパリ忘れたようなモノの言い方をしている。一瞬、「自分の努力は!?」と叫びそうになるのを、デストダは必死で抑え込んだ。
「しばらくこの城を空ける。留守を頼む」
「……!? 今なんとおっしゃいました!?」
「聞こえなかったか。しばらく城を空けると言ったのだ」
デストダはもっと面食らった。城を空ける!? レドルアビデが!?
「何故です! レドルアビデ様が城をお空けになられたら、それこそ【伝説の勇士】たちの思うツボではないですか! 常識を知らぬ奴らのこと、いきなりここに殴り込んでくるやもしれませぬ!」
景という存在がいるというのに、かなり失礼極まることを、デストダは言ってのけた。これまで【伝説の勇士】たちから散々ひどい目に遭わされているデストダにとっては、景さえ【常識を知らぬ奴】なのかもしれなかった。
「案ずるな、デストダ。空けるといっても俺はここにいる」
ますます解らない。デストダはただ首をひねるばかりだった。
「今日から少しばかりの期間、俺は魔力を放出しなければならぬ。しかしその間、魔法が弱まるかもしれんのだ。各幹部と、それから……【エヴィーアの花】を見張っておけ」
幹部連中ならともかく、【エヴィーア】まで見張っておけとは、たたごとではない。デストダはレドルアビデを『読心』したい気持ちを、なんとかなんとか抑え込んだ。
「……承知、致しました」
深く聞けば自分の命は風前の灯にさらされる。デストダはくっ、と息を呑んで、頭を下げた。
「行け」
「は」
今日から、ならば、たった今からレドルアビデは【魔力放出】に入るのだろう。自分を追い出しでもするかのようなその口調に、デストダは一抹の空しさを感じて退出しようとした。
「デストダ。待て」
「は?」
「“砂”探しも怠るな」
「………………」
あんたはいくつ自分に仕事を与えるつもりなんだ、とは、とても言えなかったデストダであった。


 翌朝は、とてもよく晴れた。
「ふわー、いい天気だぜっ!」
博希が起きるなり、うーんと伸びをする。元の世界ではあれだけ起きるのが遅いくせに、ここに来るとどうも寝起きが良くなる傾向にあるようだ。機嫌もすこぶるいい。この天気のせいばかりではないだろうが……。
「せめて元の世界でもこれくらい気持ちよく起きてくださったら、五月サンの『ヒ――ロ――く――ん』を聞かずにすむのですけどね」
イヤミ気味に景はそうつぶやいた。ただし、誰にも聞こえないように。
 景が眠りについてから、少し泣いたのかもしれない。ほんの少し赤くなった目で、スカフィードは玄関のドアを開けてくれた。
「……これから、どこへ行くつもりかな」
「ブ」
「ピンクフーラへ行きます」
博希がこれ以上はないだろうというくらい情けない顔で景を見た。それはそうだ。博希は今回、自分に苦杯をなめさせたクラヴィーリに一矢報いんとコスポルーダへ飛び込んだのだ。もちろんスカフィードが「どこへ行く」と聞いた瞬間に、博希の腹はもう【ブルーロック】で決まっていた。それが【ブルーロック】の【ブ】の字しか言わないうちに【ピンクフーラ】である。
「お前はそういうヤツだよなあ」
「はい?」
「血は水よりも薄いぜ」
「僕と博希サンはなにか血縁関係でしたかね」
「そういうことを言いたいんじゃないんだよ」 
「じゃ何です。言いたいことは言ってしまったほうがすっきりしますよ」
「何でピンクフーラなんだ」
「まだカタがついていないからです。……この答えで満足しましたか?」
「カタ」
「ええ。決着と書いてカタです。僕に屈辱的なことをしでかしてくれたあの門番へのお礼がまだ済んでいませんからね」
冷たく笑いながらそう言ってのけた景の瞳には、九割九分九厘の本気が入っていた。博希は思わずあの門番に同情的になってしまった。もちろん博希にとって、彼が景にどんな屈辱的なことをしでかしたのかは知るよしもないが。
 本気になった景は何よりも怖い。『あなたの後ろの鈴木さん』が視覚的な怖さとすると、景のそれはストレートに精神的な怖さだ。
「……解ったよ、好きなよーにやれや」
それは決して投げやりな気持ちなどではなかった。博希は景の肩にポンと手を置くと、にっかと笑ってみせた。
「ええ、そうさせてもらいますよ」
景は軽く握りこぶしを作ると、自分の肩の上にある博希の手へもっていった。博希もそれに合わせて握りこぶしを作る。とん、ふたつの拳がぶつかった。その拳を見て、五月はあることに気がついた。
「カーくん……? 通信機、どうしたの?」
景の手からは通信機が消えていた。そういえば、と、博希も思った。出発前に身の回りの支度をしていたとき、景の分だけ通信機がなかったのだ。とりたてて不思議に思うこともなかったので聞かなかったが、そういえば不自然だ――と、博希は今更ながら注意力の散漫な自分をほんの少し反省した。すぐ忘れてしまうだろうけれど。
「ああ――――」
そしてそのことは景すらも忘れていた。ため息をついたのか、つぶやいたのか、解らない声を発して、景は手首に触れた。先頃景に『屈辱的なことをしでかした』門番に、踏み潰されてしまったのだ。
 通信機が耐水性だというのは、前の都市で五月の通信機が金魚鉢漬けにされたことで解っていたことだった――それが証拠に、現在、五月の通信機は壊れもせず軽快に動作している――が、まさか踏み潰されて無事なわけがない。象が踏んでも壊れない筆箱とは訳が違うのだ。そして、何よりも重要なことに、潰された通信機は、あの門番の屋敷に置き放されてきていた。もしもあるのなら、今もまだ潰された形のままあそこにあるはずである。ヤツが捨てていなければ、の話だが。
「そういうわけなんです。どうにかなりませんか?」
景はスカフィードに、簡潔に事の次第を話した。修理が利くものならばそれに越したことはない。自分だけまた新しく作り直してもらうのもなんだか気がひけるものだから。
「なんとかならないことはない、と思うが……如何せん現物がなくてはどうしようもないな」
「……ということは」
「景の通信機、取り戻さなければならないな。おかしな魔法でもかけられてしまう前に」
「じゃあ、どっちみちピンクフーラに行かなきゃいけないんだね。ピンクフーラで決まりだね? いいよね、ヒロくん?」
「……ま、そういう訳じゃあ仕方ねえよなあ。クラヴィーリへの仕返しは貯金しておこう。行こうぜ、ピンクフーラに!」
博希は大きくウインクすると、拳をくっと握ってそう言った。


 フォルシーは、スカフィードに見送られ、博希たち三人を乗せて大きく飛び立った。幸いにも天気はいい。【伝説の勇士】三人は、風に自らの髪をあそばせながら、それぞれにいろいろな考えをめぐらせていた。
(とりあえず門番は一発ぶん殴るので決まりだよな)
(また点数つけするのかな? でもぼくは大丈夫だね、美しいから)
(――さてどうやって侵入しましょうか、あの村に――)
三者三様。有益とも無益ともとれるその考えを、最初に口に出したのは、やはりというかなんというか、景だった。
「騒ぎになっているとは思うんですよね」
「なんだいきなり」
景は、自分のすうすうとする左手首を見つめて、つぶやいた。
「あの門番は執政官様の弟君だったはずです」
「そうだっけ?」
「博希サンがそう言ったのでしょう!?」
「忘れたよ」
「覚えておおきなさい、僕らにとってはたった数日前のことなんですから! ……というか、僕は博希サンがしゃべったことを情報として受け取っているんですよ。情報源そのものが情報を忘却してどうします」
「仕方がないだろ、俺、熱血系美少年なんだから、記憶は苦手なんだ」
「まだこだわりますか。そんなことだから2点なんです」
「あっ、傷ついた。俺今ものすごく傷ついた。人の古傷をえぐりやがってコノヤロウ」
「落ち着きなさいっ。ここはフォルシーの背中ですよっ。文句と暴力ならあとで存分にうけたまわります。……彼は、必ず動き出していると思うんですよ……」
「いきなり本論に戻すなよ!」
「早く本論に戻らないと僕自身が何を言いかけたのか忘れてしまいそうですから!」
うむう、と、博希は言いよどんで、それから、「それで?」と聞いた。
「だから、僕らの存在はもうマークされていると考えていいでしょう。問題は侵入方法なんです。如何にしてバレずにあの村に入るか」
「マーク……?」
「忘れましたか? 僕らはあの村から見て、大犯罪者ですよ」
「そっか、そういえばそうだったよね。厳しい罰が待ってるんだよね」
つまりは“執政官に許可を求めず無断で村を出た”罪である。しかも景は執政官の弟に逆らい、博希や五月はまたこれで器物破損を派手にやらかしている。二重三重に罪が重なっているのだ。これはもう、大罪というか、まず間違いなく死刑ものだろう。
『いかがなさいます? じきに、ピンクフーラですが?』
「ああ――――」
景は天を仰いだ。このままフォルシーにピンクフーラ入りしてもらい、次いで空から村へ入ってくれと頼むことは簡単だ。そして、言われればフォルシーは行動に移すだろう。だが、
「あなたを危険にさらすわけにはいきませんからね……」
つぶやく景。そう、空というのは上からであれ下からであれ目標物が即絞り込める場所である。現在一番危険性が高いと誰もが認識する村の空を飛ぶのだから、危険性はピカイチだ。狙撃されるのが解っていて無防備に街をふらつくくらい危ない。命知らずも度を越せばただのアホウである。
「じゃどーするよ。フォルシーにはこのまま降りてもらうか? あとは俺たちで考えるってことでさあ」
「そうだね、それがいいね」
「では、フォルシー。ゆっくり降下してください、このまま。僕らは歩いてあの村を目指します」
『承知しました』
できるだけ気取られぬように、と、フォルシーは翼をあまり動かさず、風のように土の上を目指したが、
 その羽ばたきを追う黒曜石の瞳が、あった。


 すとん、と、フォルシーがその足に土の感触を認めたとき、博希は遠くからやってくる足音を聞いた。
「誰か来んぞ」
「まさか、こんな森の中でですか?」
「でも、村はすぐそこだよ。村の人かも」
「それだともっと困るんですけど!」
景の言うことは至極もっともだった。今からさあ秘密裏に侵入しようというのに、この時点で村人に見つかろうものなら即刻通報される可能性が大だ。
 自分たちが村から不法脱出してこっちの時間で一年をとっくに過ぎている。手配書のひとつも出ていておかしくはあるまい。
「とりあえず隠れましょう! 村の人だと厄介です。フォルシー、あなたはスカフィードのところへお帰りなさい。今なら見られずにすみます」
『大丈夫ですか? 何かあったとき、私が口を利くこともできますが』
そうか、と博希は膝を叩いた。フォルシーは神官スカフィードの使っている鳥。レドルアビデの勢力下とはいえ、スカフィードを知らぬ者などいまい。
「大丈夫です。僕らが何者か解らないあなたではないでしょう?」
景はフォルシーの背中を撫でて、にっこりと笑った。
『……そう、でしたね。忘れていました。では、私は一足お先にスカフィード様の元へ戻らせて頂きます。……お気をつけていってらっしゃいませ』
「お気をつけるも何も、今からピンチかもしれないんだけどな」
博希が軽口を叩く。景はその頭をぺしんとはたいて、博希と五月とを木の陰に促した。フォルシーに一礼をよこし、三人は完全に木の陰に隠れた。フォルシーもぺこりと頭を垂れると、そのまま、ふわりと翼をひろげ、飛び去っていった。
「さあて……」
三人は道の向こうからやってくる人影を、息をひそめて待っていた。博希など今にも手の布を外しかねない勢いで待ち構えている。
 じゃり。靴が砂をかむ音がした。
「あ……? リオール?」
鮮やかな紅の鎧、黒曜石の瞳。瞳と同じ色をほこる長く美しい髪。道の向こうからやってくる人影の正体をはっきり認めて、景は思わずつぶやいていた。無理もない。こんなところで会うなんて、思ってもみなかった。ので、言ってしまってから、景はあわわと口を押さえた。これでは隠れた意味がない。――――だが、
「なに、リオール!?」
もっと意味がない男がここにいた。止める間もなく博希ががばっと木の陰から飛び出したのを見て、景は息をつめているのが心底馬鹿らしくなった。
「ぅあなたという人はぁぁぁぁぁ――――!!」
「――【伝説の勇士】。どうした、こんな所で――」
黒曜石の瞳を丸くあけて、紅の騎士は飛び出してきた博希を見つめた。
「リオール。あなたこそどうしたんです、こんな所をひとりで」
もう隠れているのは止めにした。景はあきらめの表情を一瞬だけ浮かべ、居ずまいを正して、リオールに向かった。リオールは考えることもなく、ほとんど間をおかずに、即答した。
「散歩」

-To Be Continued-



  散歩? 本当に散歩だろうな?
  しかし、それにしても、一体どうやって村へ入るんだ?
  まさかリオールがどうにかするわけでもないだろうし……。
  いまひとつ信用できないんだよなあ、リオールがまた。
  次回、Chapter:72 「頼むからもう少し静かに」
  いや、大丈夫だ。お前たちなら、私は信用する。

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