窓の中のWILL



―Fourth World―

Chapter:60 「……先、……生……?」

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「私もお寿司?」
 博希が家の中に戻ったとき、今まさに夕食が始まるところだった。素子に会話の全部を聞かれるわけにもいかないから、廊下に出て茜にそっと寿司の話をすると、彼女は「なんでよ?」と小首をかしげた。
「今回はお前に世話ンなったしさ。景がそう言うんだ、ご馳走してもらっておいて言うのもアレなんだけど。礼っていうかその、まあ、」
正体もバレちまったし、と、決まり悪そうに博希はもごもごつぶやく。
 ああつまり、と茜は博希に耳打ちした。
「口止め料的な……ワイロ?」
「普段頭いいのになんでそこだけ五月と同じなんだよ」
「違うの?」
「結果的にはそうかもしれないが少なくともそういうつもりで言ったんじゃねえよ人聞きの悪い」
すねてみせる。そうしたところで茜がこれ以上反対だとか抵抗するような妹でないことは、博希自身が一番よく解っている。
「冗談よ! お母さんに言ってくるね、まだお寿司残ってるの?」
「あったりまえだ、父ちゃん奮発しすぎだよ結構残ってんぞ」
博希は茜の頭をくしゃっとやって、それから店に戻った。背中に茜の「おかーさーん、お兄ちゃんと一緒にごはん食べるねー」という、ちょっと弾んだ声を聞きながら。


「というわけで」
 景が座りなおして、重々しく言った。
「仕切り直しです。茜サン、今回のことに関しては、本当にありがとうございました」
「どうしたの景兄ちゃん」
かしこまって頭を下げる景に、茜は戸惑う。隣では五月もぺこっと首を曲げた。
「あんなに狼狽する博希サンを見たのは、僕らも初めてでして。でも、茜サンがいたからこそ、大きな支えになったのだと思います」
「ヒロくんに聞いたと思うけど、ぼくら、なんだか今すごく大変なの」
まるで人事のようだが、そう語る五月の瞳は真剣だ。
「でもねでもね、こっちで、ぼくらのこと知ってくれてる人がひとりでもいるって、すごく、なんか、ホッとする」
その気持ちは景も、そして博希も同じだった。ましてこの妹は口が固い上にしっかりしている。
「この前も言ったけど、お前がいるから、俺は……んや、俺たちは戦えるのかもしれない」
いつになく真剣な表情の博希に、今度は茜のほうがほんの少し狼狽して、しかし、にっこり笑った。
「何かしこまっちゃってんの? お兄ちゃんはお兄ちゃんじゃない? 景兄ちゃんも五月兄ちゃんも」
「え」
「こんな面白い経験、きっとお兄ちゃんたちしかできないよ?」
「いやそりゃそうかもしれねーけど」
面白いってお前。言いかけた博希をさえぎって、茜が次の言葉をつむぐ。
「だったら」
 茜は勝手にスシオケの中の巻鮨に手をのばした。ひといきに口の中に詰め込んでしまうと、一気にかんで、そのまま飲み込む。
「いつものままのお兄ちゃんたちでいいじゃない」
「いつものまま……」
「これは壮大な自由研究よ。夏休みの。発表はできないけどね。私はその手伝いをしてるだけ。それでいいじゃない」
でけえ自由研究だな……博希はつぶやいて、そうしてこの妹の度量の大きさに心底感心した。景もまた「博希サンにはもったいないくらいできた妹ですよね」と失礼なことを言う。
 だが、それでいいのだ、と思った。もちろん、博希も景も五月も。
 確かに【伝説】として戦うのは重いことかもしれないが、それを今、まして寿司を食っているときに考えてなんになる。
 いつまでも不幸ぶっていたって仕方がないのだ。
 というよりも自分たちがいつ不幸だったというのだ。
 思わず、ここのところの状況柄深刻になってしまっていたが、本当は深刻になる必要などあまりないことばかりだった。いつだって三人で――あるいは茜の手助けもあって四人で――なんとかなってきたではないか。
 つまりそれでいいのだ。なんだ簡単なことだった。
 彼らをいつの間にか縛っていたタガが、心の中でぱつんと外れて、三人はなんだか楽になった気がした。
「もう、いいよね、食べて?」
「さっき食い始めたろ! でもまあまあつまめよ、聞きたいことあったら、答えるぜ」
「そう!? じゃあ、ええとね、……」
「おい、お前たち、何の話してるんだ?」
豊が上機嫌にこっちを見ている。いつまでも寿司ひとつつままずに真剣な顔で話をし続ける息子たちを案じてのものか、それとも本当に面白がっているのか。
「べ、べつにっ!」
博希もまた寿司をつまみ始めた。食べている間、他の客が入ってきたり、豊や素子がかわるがわる茶など持ってきたりするので、なかなか異世界の話はできなかったが、それでも、茜としては満足だったらしい。
 かくして、この夜はやや平和に幕を閉じたのだった。


 これから先の忙しさを予見した景の提案により、特別講義前の日曜日、つまり二十四日は、それぞれ家でのんびりしていようということになった。
 コスポルーダは待たせてしまうことになってしまうけれど、このままでは自分たちの身体がもたない。博希も茜にそう言われ、やっと納得した。もともと一年の進み具合が自分たちの感覚と違うから、そう悪いことにはならないはずです――どうせ、特別講義だって、水曜日までなんですから。一週間に三日の特別講義をこなしてしまえば、あとは夏休みになにをやろうと自分たちの自由。景はそう言って、二人を休ませ、なおかつ自分はこの騒ぎでやや遅れた分の勉強を取り戻すべく奮闘した。
 だいたい普通なら起きているべき授業を、時差ボケで寝ていたりコスポルーダからの攻撃で妨害されたりで、終業式前までロクなことがありませんでしたからね。とりあえずまんべんなく。彼は土曜と日曜で、やっと終業式前に追いつくまでの予習と復習を終えた。
 博希は家で寝ていたり、プールに行ったりと、普通の夏休みを満喫し、五月は五月で、家でお菓子作りに興じるなど、普通とはまず間違いなく違っている夏休みを満喫していた。


 少年は眠り続けていた。それでも先日倒れた時よりは、いくぶんか顔色も回復していたと言えようが。
「……危なかった。……やはり相手にさせるのは早すぎたかもしれぬ……」
黒い影が、自らの手のひらを見る。
「!」
左手首がまるごと、バグを起こしたように、パチン、と、狂った。
「……ち」
 舌打ち。影は眠る少年を見た。
「……今頼る訳にはいかぬか……」
別室に向かう。わずかな光にさらされたその顔には、微妙な脂汗が浮かんでいた。
「…………」
真っ赤な『花』がその美しさを誇る部屋。
 コツン、と靴音を響かせ、影は『花』に近づいた。
「……もはや予断が許されぬかもしれぬ……あの時【伝説の勇士】の力、いただいておけばよかったか……」
『花』にまだ残る、薄いブルーの髪に指を通して、その髪の持ち主の頬を撫でた後、影は、花びらを一枚、食いちぎった。
 『花』が一瞬、震えた。
しばらく、影は花びらをくわえて座ったまま、動かない。だが、手の狂いは、回復していた。
「……神官スカフィードが先か……【伝説の勇士】が先か……」


 そして、七月二十五日。夏の特別講義が始まった。
「夏休みに学校出て来いっつーのはある意味ゴーモンだぜ」
博希はそう愚痴った。
「あぢい」
「でもさ、リテアルフィの攻撃よりは楽でしょ」
五月が言うと、景は
「まあ、それはそうですよね」
と納得した。まるで溶けたアイスのように机の上に長くのびた博希は、ほとんどそのままで特別講義を受講していた。無論一時間に二十回は軽く殴られていたが。
「土日によっぽど怠けていたんですね?」
「まさか。寝たり泳いだり寝たり食ったり寝たり配達行ったり寝たり」
「……過半数は寝てますね……」
「でも本当に暑いねえ。夏だね」
「ええ……」
景はそう言うと、自分のカッターシャツのえりぐりをはたはたとやった。
「カーくん?」
「なんです」
「そのうち泳ぎに行こうよ、プールでも海でもいいからさ」
「いいですねえ……ただし、特別講義が終わって、なおかつ、コスポルーダが平和になってからですよ?」
五月は少し首をかしげて、困ったような顔で言った。しかし、その目は本気だった。
「うーん、頑張ろうね」
「ええ」 


 特別講義は午前中で終わる。ことに博希たちはまだ一年生だから、そう厳しく勉強することもないのである。そんなふうにして、二日目の特別講義も終わった。
「あー、頑張った頑張った」
「講義の半分以上を夢の中ですごしておいてよくそんなことのたまえますね」
「昼メシはそうめんにしよう」
「鮮やかに無視しましたね……?」
「よしなよ、二人ともぅ。――あれっ? ねえ、あれ、なにかな?」
ほとんど生徒が帰ってしまった教室の中、教卓の上に、なにかが乗っている。五月が見たのは、その輝きだった。
「チョークケースか?」
「そのようですね、この銀は安土宮先生のものでしょう」
「忘れたんだろうね」
「置きっ放しとけ。熔けたら面白ェや」
「銀が太陽光線なんかで熔けますか。……僕が届けに行きましょう。どうせ数学の質問もあったのです」
「そうか?」
「先に帰っていただいていいですよ。お昼食べたいでしょう」
「うーん。……ごめんね?」
「いいですよ。それじゃあ、また明日」
「おう」
「ばいばーい」
三人はそうして別れ、景は一人、律義に教室の戸締まりを確認して、職員室に向かった。
 夏休み、それも特別講義中ということで、やはり特定の教師しか職員室にはいないらしい。ややいつもよりにぎわいの少ない職員室に、景は足を踏み入れた。
「失礼します」
職員室には零一が一人でいた。他の教師は昼を食べにでも行っているのだろうか。
「……あの、安土宮先生」
「なんだ、浦場か? どうした」
零一はさっきまで自分が打っていたノートパソコンをパタンと閉じた。
「教室の教卓の上にチョークケースをお忘れだったでしょう。お届けに参りました」
「ああ。どこいったのかと思って考えてるところだった。すまんな」
「いえ。……それとですね、ちょっと今日の講義の内容について質問がありまして――」
「ほう。お前はホントに真面目だな、松井や若林にもちょっと分けてやってくれその真面目さ」
「……無理です」
景は自分のカバンから数学のノートを捜すと、パッと取り出して聞いた。
「ここの解法なんですけど、僕はこういうふうに考えていたんですが、先生の解法と少し違ったようで、――」
「ああ、それか。ちょっと待て、……」
零一は自分のテキストを捜した。そのはずみか、閉じていたノートパソコンが、開いた。
「おっ」
「あ、」
零一がとっさに手を伸ばしたが間に合わない、と瞬時にそう見てとった景は、開くと同時にバランスを崩したノートパソコンを支えようと、手を伸ばした。その一瞬、景は、パソコンの画面の中に、奇妙な字を見た。

 あれ…………?
 この文字は……見覚えがある。
 ほら僕、いつも、見ているじゃないですか、これ……

 コスポルーダ語!?

 間違いない、コスポルーダ語ですね、
 僕がいつも訳するのと同じ言葉だ。
 ……なぜ、先生のノートパソコンに、そんなものが?

だが次の瞬間、渦を作ったアルファベットに、景はもう一度、言葉を失った。それは普通に、自分たちの世界で使われるアルファベットだったが、その文字は、――
「……レド……ル、ア……ビ……デ……」

 ………………

「…………!」
景はつぶやいてから、まずその名前に戦慄し、そのあとすぐに、なぜか、しまったと思った。そのつぶやきを聞いた零一の顔色が、瞬間的にサッと変わったのを見たせいかもしれなかった。
 というよりむしろ、アイルッシュ人である零一のノートパソコンにコスポルーダ語の羅列があること、それよりも『レドルアビデ』なるアルファベットが存在することが、今の景にとって、一番考えなければいけないことだった。しかし、景がいったん見てしまったノートパソコンを、零一が閉じるのは、早かった。
「!」
景は零一の行動の素早さに、少し、自分の体のバランスさえを崩した。そのへんに乱雑に置かれてあった紙が、バラバラと舞って、散らばる。
 零一の表情は冷たかった。
「……先、……生……?」
景はその時、零一の瞳の奥に、ちかり――と、赤い光を見た気がした。が、零一はすぐに、いつもの笑顔に戻った。
「ん? どうした、浦場? 悪いな、結構プライベートなパソコンなんで思わず、ははは。それで、聞きたいことはなんだったっけ?」
景は背中に、ぞくり、としたものを感じた。それはきっと、勇士でなかった時の自分からは生まれそうもなかった、カン。
 ただでさえ今、職員室には自分と零一だけなのである。何かがあった時、防ぎきる術はたぶん、ない。
「――いえっ、もう、カタがつきました。ありがとうございましたっ」
景は自分のカバンを胸に抱えて、職員室を出て行った。
「………………」


  おかしいですよ。
  なんなんですか、あれ!?
  安土宮先生がなぜ『レドルアビデ』の名を――
  先生、あなたはいったい――!?

景は走っていた。ともかくもちゃんと現状確認できるまでは、博希と五月には黙っておこうと思った。ヘタに話せば変なところから話が広まりかねないと思ったせいでもあった。二人を信用していない訳ではなかったが、二人、というよりも、噂好きの他三十名余りの耳の早さを懸念したのである。


「……浦場は頭が切れる……よもや感づかれたか? ……」
 だとするなら予定よりも早い、零一はそんなことをつぶやいた。
「もう少し様子を見てから――狙うつもりでいたが――」
かちり、パソコンのスイッチを入れ直す。
「少し早まるかもしれんな」
自分にとっての分は今悪いはずなのに、彼は、画面を見ながら、にやあ、と、笑った。
「なるほど」


 それぞれのピースが動き始める。
 真実はひとつ。
 答えはひとつ?
 ゴールは?

 動き始めたピースは、
 ひとつのパズルに向かって、進みだす――。

 その最後のときまで、絵の見えない、パズルに。

-To Be Continued-



  『動きだした』どころじゃないだろコレ!!
  謎が解けそうで解けない……どうなるんだ、これから!
  さて、次からはいよいよFifth Worldに突入して、
  またしても混乱が混乱を呼ぶ大事件が起こる……んだって?
  次回、Chapter:61 「今日はずっとむつかしい顔してるの」
  それにしても茜ちゃんは本当にいい子だなあ……

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