窓の中のWILL



―Fourth World―

Chapter:53 「……もう、隠せないから」

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「らああああっ!」
 叫びながら、リオールへ突進していく博希。だが、その攻撃は、わずか紙一重で、よけられた。
「その体で、私にとどめは刺せない」
「……っ!」
が、
 バラリ――結っていた髪が、ほどける。風圧か。それとも攻撃の余波か何かか。リオールの美しい黒髪が、散った。
「くっ」
リオールはばさりと散った髪を振り回した。その黒髪はつやつやと光って、彼女の美しさに色を添える。
 その時、博希は、目の前の人物と、思い出せなかった人物とが、はっきり重なった。

「……さ、お……り……!?」

体中に電撃が走る。そんな、バカな……!
「サオリ? ……誰のことだ」
「え……だって……お前は……沙織だろ!?」
「私は紅の騎士、リオールだ。そんな名前は、知らない」
「そんな、お前。……」
きっ、と、リオールは博希を見た。博希は口をつぐんで、黙った。
「……今日はいったん引く。また会おう、【伝説の勇士】」
「なにっ、……」
「……いずれまた決着をつけよう。いいものを、見せてもらった……」
「いいもの……!?」
「お前の正義感と、甘さだ」
そうしてくすりと、笑う。博希はその黒髪の陰に隠れた笑いに、はっきりと、時貞沙織の影を見た。
「ホールディア!」
「待てっ、リオール、」
が、博希が叫び終わる前に、リオールは“ほころび”の中に消えた。
「リオール、……や、……沙織、……お前……なんで……」
そのまま、博希は膝をついた。体中から、力という力が、抜けた。
「お兄ちゃんっ」
茜が駆け寄る。そこまではぼんやりと覚えている……それから、鎧装着が解けたのも。
 そこから、博希の記憶は、やや、飛ぶ。


 リオールはコスポルーダに戻ってきてから、わずかな頭痛を覚えた。
「……づうっ」
あの後、アイルッシュを攻撃しようと思えばできた。むしろ【伝説の勇士】にさえ、あの攻撃をかわした後に攻撃を加えようと思っていた。
 しかし、できなかった。彼が口走った『沙織』の名に、胸のどこかが痛んだ。まただ。『博希』に続いて『沙織』。

 誰だ。

 私はその名を確実に――知っているはずなのに――思い出せない。

また頭が痛んだ。大事な何かを忘れている気がした。
「リオール様」
声がする。その声は少年のもの――
「デストダ?」
「は」
「私に様づけするなんて、どういう風の吹き回しかしら」
「……頭痛が?」
「人の話は聞くものよ。――私に頭痛があったからって、なぜお前がそう関わる?」
「……自分にもここ最近、頭痛が」
デストダの瞳はやや本気が入っていた。
「寝不足でしょ」
「……おちょくってらっしゃいますか」
「いいえ。――なぜ?」
「なぜとおっしゃるのは――頭痛の原因が、ですか」
「そう」
「……解りませぬが……たまに妙なビジョンが脳内に映ります」
「…………」
リオールは黙った。自分と似ていると思った。
「そのことを、レドルアビデ様には?」
「まだ……」
「なぜ私に話した?」
「……なんとなく……自分と近しい感覚がありましたので」
ふん。リオールは少し息を吐き、デストダに背を向けた。
「リオール様、……」
「……安心して。このことは私とお前だけの秘密にしておく」
「…………はっ」


「……ん」
 博希は感じなれた空気の中で目を覚ました。気が遠くなったのは覚えにある。最近よく気を失うな、そんなことを思って、今寝ているのが自分の部屋の、自分の布団の中であることに気がついた。
「…………!?」
自分が家まで帰り着いた記憶がない。覚えているのは茜が自分を呼ぶ声と、鎧装着が解けたところまで……その後、自分はどうやって家に帰り着いた!?
 博希は体を起こした。
「いてっ」
背中が痛んだ。リオールの起こした『風』のスパークが、茜を守った時にまともに当たったせいだろう。博希はもう一度布団に入ると、ぼんやりと天井を見つめた。
 背中がつきつきと痛む。それで思い出したのはやはり、リオールのこと。

 あれは絶対に――沙織だった。
 今は写真を見ることはできないけど、解る。
 写真を見なくても、あれは沙織だった。
 なんで今まで気がつかなかったんだ……
 それならあの時俺の名前を呼んだのも説明がつく、

 ………………、
 ………………、

 ……ならなんで沙織は他人のフリをするんだ?
 なんで『リオール』なんて名乗ってるんだ?

博希はあの時、あの小屋の中でリオールが言った言葉を思い出した。
 『私には記憶がない』彼女ははっきり、そう言った。『なぜこの世界にいるのかも解らない』と、そうも言った。

 じゃあ……?

 ――ああ、俺にはもうなにがなんだか解んねぇや。

体のケガと疲れとが、いつも以上に博希の頭から考える能力を奪っていた。だが、そんな中でも博希が出したたったひとつの答えがあった。

 ――リオールの無くした『記憶』ってのを取り戻したら、
 なにかが解るかもしれない。
 仮にリオールが沙織じゃなくても、そうするだけの価値はあるはずだ――

その時、部屋の障子がからりと開いた。
「……あ、目、覚ましたんだ?」
「茜、……」
「タクシー呼んで、運んでもらったの。目、覚ましたんなら、大丈夫だね。待ってて、くだもの持ってくる」
茜の足音が遠くなる。博希の気も遠くなりそうな気がした。考えれば、もはや取り返しのつかないほどのバレっぷり。もう隠すこともできないだろう。一体どこから話すべきか……博希は布団の中で悶々と考えた。それでも兄貴として、向こうから話しかけてくるのを待つ訳にはいかない。こちらから切り出すことにしよう。
 とたとたと足音。
「桃だよ。お兄ちゃん、黄桃好きだったよね」
ガラスの器の中に、切った黄桃が二つ、入っていた。
「カンヅメで悪いんだけど」
「いや。……ありがとう」
博希は器を受け取って、パクリと黄桃を頬張った。甘い。
「うまい」
「そう? よかった。味覚が戻ってるっていうのは元気になってる証拠だよ」
「……茜……」
博希はフォークを置いて、茜を見た。
「お兄ちゃん?」
「お前はなんとも、なかったか」
「……!」
茜はそれで、目の前の兄が何を言おうとしているのかを何割方か察した。
「私は……私は、なんとも、なかったよ」
「そうか。……もう少し、俺が、なんとかできてればよかったんだけど……危ない目に遭わせて、悪かったと思ってる」
「そんな、」
「……もう、隠せないから、お前にだけは言っとく。俺、【伝説の勇士】なんだ」
「……【伝説の勇士】……?」
 そうして、博希は、もどかしげながらも、温室に忍び込んだこと、観葉植物に襲われたこと、そうして異世界コスポルーダに行ってしまったこと、そこでなぜか【伝説の勇士】になってしまったことなど、ここ数日の間で自分や五月や景の身に起こったことを、包み隠さず、話した。
 すべてを話し終わるまでに、たっぷり、二時間、かかった。
「要するに、」
話を聞き終わった茜が、天井を見ながら、言った。
「異世界とこことが妙につながってて、ああいう変な人たちが行き来してるのね。それを退治するのがお兄ちゃんたちの仕事」
「……俺の費やした二時間、ふた言で終わらせるなよな……」
「傷ついた?」
「そりゃまあ。……いいけどさ」
博希はぷっ、と笑った。茜も笑った。
 その時、玄関先で、声がした。
「ごめんください」
「あの声は景だな。……家、出してもらえたのか」
「私、迎えに行ってくる」
茜が部屋から出て行った。ほどなくして、茜は景を連れて博希の部屋に戻ってきた。
「よかったのか、お前のばっちゃんは」
「爆発の脅威は去ったようですからね。図書館に行くという口実のもと出てきました」
「そっか。……あてて」
背中がまだつきつき痛む。
「大丈夫ですか? ……結局今日は誰だったんです? 博希サンが寝込んでいるところを見ると、やっぱり今日の爆発は向こうの方がやらかしたことだったんでしょう?」
「……リオール……だ」
「リオール!?」
景は叫んで、しまったというふうに口を押さえた。背後に茜が座っていることを忘れていたのだ。
「景、景。大丈夫だ」
「え? ……まさか博希サン!」
「……うん。バラした。ってか、今日の戦いの時に、バレた」
「それは……」
景はそうして、茜の方を見た。
「景兄ちゃん、私、誰にもしゃべらないから。お兄ちゃんは悪くないの、私のこと、助けてくれたの」
「助けた。――そこのところ、詳しく聞かせていただきましょうか、博希サン。――それともその体でしゃべるのはちょっと酷ですか?」
「……いや。いいよ、話す」
博希は街に出てから、リオールと対峙したことまでをすべて話した。


「……リオールはレドルアビデの配下だったと……」
「うん。どうやらそういうことらしい」
「彼女はいったい何者なんでしょうね、どうして僕らを助けたり邪魔をしたり――」
博希は口をつぐんだ。彼はさっきの話の中でたったひとつ、言っていないことがあった。

 リオールが沙織ではないかという疑問。

本当は話すべきなのかもしれなかった。だが、博希はなぜか、黙っていた。そしてそのかわりに、別の話題をもちかけた。
「気になるのはリテアルフィがどこ行ったかってことだよ」
「……きっとオレンジファイの居城なんでしょうけれどね……」
「どうする。まだ向こうから帰ってから一日も経ってない、だからそう長い時は経ってないと思うけど――」
「そう……約六時間ですからひと月半、といったところでしょうか」
「ひと月半なあ。……明日行くか?」
「博希サン。あなた、体がそんな状態なのに。いくら丈夫だからって、あなた敵の攻撃をナメてますね。もう一度気を失うためにコスポルーダに行くようなものですよ」
「キツいこと言うなあ」
「せめてあと一日は余裕を置いてから行きましょう。特別講義は二十五日からですから、四日分コスポルーダにいて大丈夫です」
「お前いったい何年いるつもりなんだ向こうに」
「さあ?」


 景が帰っていってから、茜は夕飯の支度を始めた。
 博希にはお粥を作る。卵を落として、くつくつと炊いて。
「こっちは私がなんとかするよ。だからお兄ちゃん、早く体治して、コスポルーダに行って」
「茜……」
「お兄ちゃんたちしかいないんでしょ、向こうを助けられるの。お父さんとお母さんは、私が説得して、絶対離婚届けなんか出させないから」
「……お前ホントにいいヨメさんになるよ……」
博希はしみじみしながらお粥を口に運んだ。卵のうまさが体にしみた。
「うまくいけば明日、悪くしても明後日行くよ。一週間が一時間の時差だ、こっちではそんなに家空けないから」
「うん。無理はしないでね?」
「解ってる」
背中の痛みは軽減されてきた。今日半日、安静にしていたのがよかったのだろう。博希は茜にお粥の器を返すと、また黄桃を食べて、この夜は眠った。


 夢を見た。

 何もない、広い、真っ白な世界に、
 一筋、黒い影がある。
 それが誰か、人物であると解るのに、時間がかかった。
 カツーン……歩くと、そんな音がした。
 「お前は……誰、だ!?」
 「………………」
 相手は黙っている。振り返りもせず、自分の方をちらと見る。
 「…………!」
 博希は硬直した。ルビーのように真っ赤な瞳。
 それが――笑っている? それとも自分をにらみつけている……?
 解らない。その瞳に、のまれそうな、奇妙な感覚……。
 「誰なんだ、お前はっ!?」
 聞くが、当然のごとく、答えない。ふわりと、黒いものが揺れた――
 「翼……」
 真っ黒い翼。その中に、キラリと、光るものがある。
 翼にからんだ透明な布――のような――

 なんで俺はこんなところにいるんだろう。
 博希は自問自答してみる。だが答えが出るはずもなく。
 ……ここから出て行きたい。ここから……
 「逃げるのか?」
 初めて目の前の人物がつぶやいた。嘲笑をわずかに含んだ、つぶやき。
 「逃げる……だと?」
 自分の声じゃないような反論。博希はきっ――と人物を見た。
 やはりのまれそうな赤い瞳、そして、瞳と同じ赤い髪……
 「お前……は……」
 口がよくまわらない。
 「逃げるの、だな?」
 肩から背中にかけてぞくり、と悪寒が走る。
 その時初めて気がついた。もう一人――誰か、いる!
 その手はだらりと垂れ、意識がないことを如実に表している。
 長い黒髪が揺れていた。それは少女らしかった。
 赤い瞳の人物はその手を掴み、黒髪に指を通している……
 意識を失った少女の顔からは血の気が失せていた。
 その顔に博希は、見覚えが、あった。
 「……リオール。……違う、沙織!!」
 見慣れたセーラー服が風になびいた。
 「お前、沙織に何をしたあぁ!」
 博希の絶叫。だが人物はにやあ、と笑うだけで、答えない。
 「沙織っ、目を覚ませ! 沙織、沙織っ!!」
 本当は走っていって、人物を殴りつけてでも沙織を救いたい。
 が、博希の足は、動かなかった。まるでそこにはりついたように。
 「沙織――――ッ!!」


 はっ。
布団の中で、目が開いた。
 カーテンは閉ざされていた。光が少しも見えないところをみると、時計はここから見えないがまだ夜中なのだろう。

 さっきの夢は――?
 あれは、誰だ?

博希は布団の中で何度か寝返りを打った。暑いせいか、否、それだけの理由ではないだろうが、寝苦しい。背中の痛みは消えていた。
「……沙織……」
叫んで目が覚めるなんて久し振りだ。というよりつい最近、そう一週間前にも叫んで目が覚めてはいるのだけど。あれは初めてコスポルーダに行った日の朝だったか……

 あの時みたいに、なんだかつらい夢だった。

布団の中で「くう」とうめくと、博希はタオルケットを頭からかぶった。寝よう。むしろ、寝たい。
「寝かせろ」
寝るのは博希自身の意思であるはずなのだが、博希は何度もそうつぶやいた。誰かに眠りを妨害されているような錯覚に襲われていた。


 それでも、三秒後には、博希のいい寝息が聞こえていた。

-To Be Continued-



  ……ちょっと待って、整理させてくれ。
  とにかく博希たちのことは茜ちゃんにバレた。
  リオールの正体はもしかしたら捜し人かもしれない、と。
  ええと、このWorld、いろんなことがあるなあ……
  次回、Chapter:54 「くふふふふふ」
  えっ? まだなんかあったっけか?? えーと。

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