探しものはなんですか

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 その日の坂口不動産は、いつもよりひどく賑やかだった。
「お客さまもたいがい贅沢おっしゃいますね。このへんで家賃三万以下とか、いまどき学生アパートでもそんなんありませんよ」
 四葉テツヤはそれを聞いて、目の前の不動産屋にすがった。
 【坂口不動産 代表取締役 坂口ソウイチ】手の中の名刺にはそう書いてある。
若いながらも代表取締役で、しかもなかなかにひらけているこの街で不動産屋をやっているということは、経験が豊富でやり手なのだとテツヤはみていた。
「そこをなんとか、お願いしたいんですよ。百歩譲ってちょっきり三万でもいいんですけど」
「しかも部屋の条件が2LDKでしょ。その上熱帯魚とカブトムシの飼える部屋。新婚さんでしたっけ? 最初から身の丈わきまえない豪邸はやめたほうがいいと思うな」
部屋を探しに来てそこまで言われるとはテツヤもさすがに思っていない。ただもうとにかく安い部屋を探せと彼女から厳命されて、もう一週間経っていた。
「……いや結婚はまだなんですが」
「じゃなおさらじゃないですか。もし破局にでもなったら部屋無駄になるでしょ」
「そういうこと言うのやめてくれます?」
 必死なテツヤに不動産屋――ソウイチはため息をついた。不動産屋をはじめて何年にもなるが、こんな無茶を言う客はなかなかいない。
 まいったな、とつぶやいたそのとき、彼の眼のわきをかすめる人影があった。無論それがテツヤでないことは、ソウイチにはすぐにわかった。
「……!」
 洒落た和柄の着物が可愛いその人影――それは少女だった――は、ソウイチににっこり笑いかけていた。顔を上げて少女のほうを見る。
 だがテツヤには壁しか見えず、「もしもーし?」とソウイチを揺すった。
 ソウイチは彼女の笑顔の意味するところを察し、思いついたようにテツヤに言う。
「……安ければ安いだけいいって、おっしゃいましたよね?」
「え? ええ、まあ」
 ソウイチは戸棚からファイルを出すと、ぺらぺらとテツヤの目の前でめくった。
「2LDK一万五千円のマンションがありますが、いかがです? ペットも飼えますし規則は比較的ゆるいですよ」
「い、一万五千円!? なっ……なんでそんなに安いんですか……」
 トンデモな安さのあまり、テツヤはいわゆる事故物件を懸念した。幽霊でも出るのかとあらためて聞いてみたが、ソウイチは笑って言った。
「出る? まさか。出ませんよそんなもん。――角部屋なんです。ええと、いま空いているのは、四階」
「四階!!」
 テツヤは白目をむいておののいた。
「考えすぎです。なんでそんな不吉な方向に持っていこうとするのかなあ。一階から五階まで、ぜんぶ角部屋はこのお値段なんですよ」
「ほかの部屋は?」
「四万五千円です」
いくらなんでも開きがありすぎだ、と、テツヤは抗議してみせた。角部屋に何かいわく因縁でもあるマンションなのではないだろうか。
 そんな心の声を聞いたか聞かずか、ソウイチは説明する。
「ここね、自治会費が高いんです。月三万円。角部屋の住民は強制的に自治会役員になるから、自治会費免除でお安く借りられるんですよ」
 ああそういうことね、と、テツヤは納得した。自治会費が三万円もするというのは突飛すぎる値段設定のようにも思えたが、一万五千円は破格だ。しかし、
「強制的に……役員に? それはそれでめんどくさいなあ。ご近所づきあいとか、あんまり好きじゃないんですよね」
大変いまどきの若者らしい。本音を言うなら引っ越しの挨拶すらめんどくさいと思っているのだ、彼は。
「じゃ四万五千円の部屋にします?」
「……ほかに安い部屋は?」
「ありません」
 なんともあっけらかんと言ってのけたソウイチに、テツヤは身体ごとすがりついて懇願した。
「勘弁してくださいよ、街じゅうの不動産屋回ってここが最後なんですよ! 安い部屋探さないと俺ホントに彼女に捨てられる!!」
「……彼女さんはなんで一緒に来ないんですか?」
「……先週から三週間の海外出張で……」
「ほほう、その間に部屋を探せと。……そうですねえ、一週間お試ししてみるのはどうですか」
お試し? ソウイチはなんとも不思議なことを言い出した。ウィークリーじゃあるまいし、マンションの一室を試しに一週間借りてみろというサービスはなかなか聞いたことがない。
「一週間、一万五千円のお部屋に住んでみてください。住んでみてどうしても嫌だったら、二万円のお部屋を融通しますよ」
 それを聞いてテツヤは食いついた。
「二万円! あるんじゃないですか安い部屋!」
「ただし三畳一間キッチントイレ共同です」
テツヤは無言で崩れ落ちた。二万円でも三畳一間キッチントイレ共同。それを考えたら……多少怪しい感じがしようとも、試しに住んでみる価値はあるかもしれなかった。
「じゃ、決まりましたね? 善は急げって言いますしねえ。お部屋、ご案内しますよ。近くなんです」
 ソウイチに言われて、テツヤは不動産屋を出た。車で行くのかと思ったら、マンションは意外にこの近くにあるらしく、すたすたと歩きだしたソウイチのあとを、テツヤは慌てて追いかけた。


 そのマンションは少々古びてはいるが、見た目にはまだまだきれいなものだった。五階建てらしく、ちゃんとエレベーターもついている。これで2LDK一万五千円というのは、自治会役員にならなければならない制約さえクリアできればかなりお得なのではないだろうか。
 だとすると自治会役員というのは余程厄介なのか。テツヤは期待と不安をないまぜにして、ソウイチのあとを追った。
「はい、どうぞ」
 ソウイチが鍵を開け、スリッパをテツヤにすすめる。
 テツヤは怖々、各部屋を見て回ったが、見た目には全く問題がないようだった。
「……結構いい部屋じゃないですか!」
「そうでしょうそうでしょう。駅近でスーパーも徒歩十分。いやあお客様ラッキーだあ」
 その言い方がどこか適当に聞こえたのは気のせいだろうか。しかし、一週間でも無料で住めるのなら、別にいいかとテツヤは思った。布団だけ持ってくれば、さっそく今日から寝泊まりはできるわけだし、もし気に入らなければ、契約しなければいい話だし……
「……じゃあ、まあ、お試しってことで、一週間」
「承知しました。あ、お試しでも、自治会の総会には出てくださいね?」
 ソウイチはうれしそうに言いながら、念を押した。
「え?」
「一週間でも住民は住民です。ちょうど総会が今夜ですよ。場所は、一階の角部屋。夜八時からです。荷物を運んでも、間に合うでしょう?」
 たかだかお試しで総会に出ろというソウイチの真意を、テツヤははかりかねた。
「……不動産屋ってそんなところまでフォローしてるんですか?」
 ソウイチはテツヤの顔をあえて見ずに答える。
 それはしらばっくれているようにも、テツヤには見えた。
「不動産屋ですから」
「まあいいか……ありがとうございます」
 テツヤの手の中に部屋の鍵を残し、ソウイチは丁寧に頭を下げた。
「じゃあ、私は、これで。――きっと、お気に入りますよ、この部屋も、このマンションもね」
「え?」
 聞き返したテツヤにソウイチは答えず、すこし笑うと、部屋から出て行った。
「変な不動産屋だなあ……」
だが、余程のことがなければ、気に入らないなんてことはないくらいには、きれいな部屋だった。思ったより、悪くないんじゃないか。断る理由がもしあるとしたら、自治会とやらが想像以上に面倒だったときだろうか。まあ、もしも嫌だと思ったら、そのときはサボってしまえばそれでいい。
 人づきあいを心底面倒だと思っているこの青年は、自治会自体には興味がなかったが、部屋の安さは気に入った。いま住んでいる部屋からさしあたり布団と生活に必要な小物だけ持ち出すと、お試しの部屋へ運び込んで一息ついた。
 ニマニマと笑いながら、スマホを出すと、電話をかける。
「あ、もしもし! いま寝るとこ? うん、うん……家、一応、なんとかなりそうだから。うん。帰ってくるの、待ってるから。うん……うん。無理しないで、水に気をつけて、うん……ゆっくりな。じゃ、おやすみ」
電話を切ってからも、彼はホワホワとしまりなく笑いながら、スマホの画面をのぞきこんでいた。寝転がったり、起き上がったり、落ち着きなく。
 だがしばらく経ってから、思い出したように、起き上がった。
「あ、総会……八時からだっけ。外でメシ食ってから行くかぁ」
どうせ、お試しだもんな。遅刻してもフライングしても別にいいだろう。自治会総会とやらがそんなに長くかかるとも思えないし……テツヤはそんなことを考えながら、鍵をチャリチャリさせつつ部屋を出た。とりあえず、夕食を食べに。


 すこし遅れてもいいかと思っていたが、テツヤが夕食を終えて一階角部屋の玄関先にたどり着いたのは、約束の時間より三十分弱ほど早かった。ここでうろちょろして、ほかの自治会役員と鉢合わせするのも気がひける。先に一階角部屋の住人、つまり、同じ役員に挨拶して、あとはほかの役員が来るのを待っていればいいだろう――彼はそう思って、一階角部屋のインターホンを押した。
「入りたまえ!」
 やたら重々しい声が聞こえた。
 入りたまえったって鍵を開けてくれ、とテツヤは思ったが、鍵はとっくに開いていた。彼は多少恐縮しながら、玄関に足を踏み入れた。靴が一足しかないことに、すこしの安堵感をもちながら。
「どうもはじめまして、失礼します、四階の――――」
言いかけて、テツヤの時間が止まった。一階角部屋の住人と目が合ったからだった。何か言わなくてはならないが、声が出ない。呆然としていると言ってもよかった。
「どうした四階役員」
「アンタがどうしたんだ! 不動産屋!!」
ようやく声が出た。目の前にいたのは、今日の昼、それこそさっき、テツヤを四階角部屋に案内した不動産屋、ソウイチだった。
「どうもしない。私は一階角部屋の住民で自治会役員だ」
「……罠?」
「なんでだ」
そう思うのも無理はなかった。不動産屋が、自分の住んでいるマンションをすすめる、しかも、強制的に自治会役員にさせられる部屋を――いや、でも、家賃は安いし……
テツヤがそうグルグルと考え始めたとき、インターホンが鳴った。
「入りたまえ」
 悩みだしたテツヤにお構いなく、ソウイチが声をかける。
 すると、たたたたと軽快な足音がして、少女がふたり、仲良く入ってきた。おそろいの服がなんとも可愛く、たぶん姉妹なのだろう。
「こんばんは!」
「こんばんは!」
ふたりはぺこりと頭を下げる。
「おじちゃん、こんばんは!」
「うむ、こんばんは。しかし私はおじちゃんではないぞ、おにーさんだはっはっは」
 変なところで見栄をはる男である。だがふたりの可愛さに、テツヤはすこし自分の悩みをよそに置いて、ほっこりとした。
「この子たちも……役員ですか?」
「三階役員だ」
 小さいほうの少女が、テツヤに気がついて、トコトコと周りをまわったり服を引っ張ったりしながら、ソウイチに聞いた。
「このおにーちゃんは?」
 こんどは大きいほうの少女がテツヤを見ながらうれしそうな顔をする。おそらくこっちが姉なのだろう、ちょっとしっかりした印象だ。
「あ、もしかして、四階のひと!」
「うむ、四階の新しい役員だ。こいつはおじちゃんでいいぞはっはっは」
「なんで変なとこでヤキモチ焼いてんだあんた!」
姉とおぼしき少女のほうが、ソウイチにツッコみまくるテツヤの腕をトントンと叩いて、ていねいに言った。
「こんばんは、あたしは岸田ミナです。こっちは妹のルミ。お母さんがいつもお仕事で遅いから、あたしたちがかわりに役員さんしてるの」
「してるのー」
 テツヤは「偉い子たちだなあ」と、ふたりの頭を撫でた。
 えへへとふたりはうれしい顔をした。
「……ん、で、不動産屋が一階、この子たちが三階。俺が四階……あとは、二階と五階か……」
 ソウイチはデスクの椅子にどっかりと座り、腕組みをして偉そうな顔をした。
「おそらく二階はそろそろ来る」
「わかるんですか?」
「耳を澄ましてみろ」
「え?」
 言われて、テツヤは黙る。耳を澄まして……?
 そういえば、小さく、なにかが聞こえる。
 景気のいい、ホーンの音……あの音は、暴走族の……
 合わせて、バイクの爆音がいくつも混ざってきた。最初は小さくしか聞こえなかったその音たちが、だんだん大きくなってきて――――
「アネゴ、早いねー」
「今日は早いねー」
 ミナとルミが窓にはりついて、うふふと顔を見合わせる。
 テツヤも従った。
「アネゴ……?」
外は日が落ちていて、よく見えない。だがホーンのパラリラパラリラという音は相変わらず聞こえている。テツヤがもう一度窓の外を見ようとしたとき、凛とした声が聞こえた。
「よーし今日の集会はここまで! あたしはこれから別の集会に出るからね、お前ら帰り道は事故るんじゃないよ!」
 うおおだのワーだの、歓声が聞こえる。こんな暴走族がまだいたのか。
「今朝おはよう日本で平井のアニキが言ってたが明日ァ雨だ! 走りは休むから、お前らバイクのメンテちゃんとしとくんだよ、いいね!!」
またワーワーと歓声が聞こえた。どうも声の主がトップなのだろうか、相当慕われているのだろう。
 歓声がやまない中、ソウイチの部屋の窓がガラッと開いた。
「わあ!?」
 明らかにさっきの輪の中にいただろうと思うような女性が入ってきた。カーキ色の特攻服に身を包み、木刀を担いでいかにも不穏な様子だった。しかし、ミナとルミはすぐ女性にきゃーと抱きついた。さっきふたりが言っていたアネゴというのは彼女のことだろうか。テツヤはまとまらない頭と抜かした腰でいま考えられるだけのことを精一杯考えていた。
「おうソウイチ! きょうの集会は遅刻だったかい?」
「いや、いつもより十分ほど早い。あと集会じゃなくて総会だ」
「あーあーわかってる、似たようなもんだろ」
「……えー、ミナちゃん、ルミちゃん、そのひとがアネゴさん?」
 テツヤが聞いた瞬間、女性の目がぎらりとテツヤを睨んで、彼はヒィとうめいた。
「なんだそっちの兄ちゃん。新顔だね?」
「四階に新しく入った役員だ」
 ソウイチが説明して、女性は「ふーん」とテツヤをなめるように見た。生まれたての子鹿のように震えがきたテツヤは、それでも、なんとか、オトナのオトコとしての威厳を保とうと必死だった。
「……あ、一週間のお試しですけどね……。よ、四葉テツヤ、です」
 女性は腰を低くして目をぎらつかせた。
 なんというか映画かなんかで昔のヤクザがやるポーズに似ている気がする、と、テツヤは思った。
「あたしは二見ヤヨイ。チーム【チャロラブ】で総長やってますヨロシク!」
総長! とすると、さっきの凛とした声の主はこの女性――ヤヨイなのだ。
 ヤヨイの「ヨロシク!」に呼応して、ミナもルミも一緒に「ヨロシクー!」「ヨロシクー!」と飛び回る。教育にいいのか悪いのか、もう何もわからなくなってきたテツヤは、ぼんやりとヤヨイ、それから楽しそうなミナやルミとかわるがわる握手をした。
「……どうも……。じゃ、あとは五階の……」
 そのとき、ソウイチのいる方向からLINE通知の音がした。
「五階役員だ」
「は!?」
「若干ひきこもり傾向でな。最後に会ったのはたしか半年前だ」
「役員なのに!?」
 それじゃあ出てこないんじゃないか。サボってるんじゃないか。テツヤはそう批判しようとしたが、それより先に、ソウイチがメッセージを読み上げた。
「えー、『四階役員さん、今度LINEID教えてください。日吾アキラ』お前にだな。一応欠席の連絡も含めてある」
「なんで俺のこと知ってるんだよ! 怖いな!!」
 ミナもルミもヤヨイも知らなかったのに。テツヤは震えた。
「五階のおにーちゃんはものしりさんなの」
「ものしりさんなのー」
「いやこれ物知りってレベル? しかもLINEID聞かれたよ俺!」
 混乱するテツヤをよそに、ソウイチはデスクに資料を広げた。
「よし、すこし早いが始めるぞ」
 ミナとルミ、それからヤヨイは、それぞれ右と左にわかれた。それがいつものスタイルであるらしかったが、テツヤだけは、どこにいたらいいのかわからず、所在なさげにうろうろとしていた。
「まず二階。前回総会のときに話の出ていた、五号室の放置ゴミはどうなった?」
 聞かれたヤヨイがうれしそうに報告する。
「三号室のオバチャンにこっそりチクってみたんだよね。すっごいの。次の日さっそくオバチャンが五号室の奴インターホン責めだよ」
 ミナとルミがうわーという顔をする。
 テツヤは不可解だった。なぜヤヨイがそんなことをしたのか。
「五号室が我慢しきれずにドア開けたら、もうこっちのもんってやつよ。オバチャンそれから七時間そこに居座って説教かましたらしくてさ」
 ははんなるほどとソウイチはうなずいた。
「昨日五号室が引っ越したいんですと言ってきた理由はそれか」
 そりゃあそうだろう、テツヤは五号室住人に同情して「ウワア」とため息を漏らした。
「なんだ引っ越すの? 根性ないねェ」
「仕方ないから二万円の部屋紹介しておいた」
テツヤは今日のことを瞬時に思い出す。
「あの三畳一間の!?」
「うちで駄目ならどこ住んでも駄目だぞあの手合いは」
「そうかあ……!?」
「さて次だ。三階は最近どうだ?」
 ミナとルミはふたりそろって「ふつうー」と言ったが、ルミのほうが何かを思い出したらしく、「おねえちゃん」とミナの腰をちょんちょんつついた。
「あ、そっか。あのね、おじ……おにーさん」
 若干うれしそうに「うむ、どうした?」と相手するソウイチに、テツヤは「ケッ」とつぶやく。だがちょうどそばにいたヤヨイから「まあまあ」とすごまれて、黙った。
「三階のポストがね、きょう、あふれてたの」
ポスト……? テツヤは訳がわからなくてソウイチを見た。
「私も見た。ちなみにおとといは一階だった」
「昨日は二階だったね。中身見ないでそっちに回したけど」
 LINE通知の音がする。ソウイチはスマホを見た。
「五階はまだらしいな」
「もう普通に参加しろよ五階役員! ホント怖いわ!」
 まるで姿もなくそこに参加しているような。なんとも器用な人物である。
「四階もさっき見てきたがまだだった。だな?」
 聞かれて、テツヤは戸惑った。今日来たばかりで何も知らないし、
「いや……そもそもなんなんですかポストて」
「階段の踊り場にあったろう。見なかったのか」
テツヤはエレベーターしか使っていなかったから、階段の踊り場までには目をやっていなかった。もっとも、階段を使っていたとしても、気がつかなかっただろうが。
「その階の奴が自治会にお悩み相談するためのポストさ」
 ヤヨイはソウイチの出した書類束をがさがさとあさりながらテツヤに説明した。
「へえ、こりゃずいぶんと多いね……いつもの十倍以上はある」
 あまりにも数が多い。今日一日でこれだけ入ったとするなら、相当問題だらけのマンションなはずだ。テツヤはすこし、気持ちが悪くなった。
「普通にお悩み相談なんですかコレ……」
「いろいろー」
「話し相手がほしいとか、なにかゆずりますとか」
 ミナとルミも、テツヤに説明してくれた。
「だが今回はちょっと趣が違うようだ」
 ソウイチだけが、うすら笑いを浮かべながら、書類束をすこし持ち上げた。
 趣が違う? どういうことだろう? テツヤの考えが伝わったのか、ソウイチは続けた。
「全部同じだ。外身も中身もな」
「全部同じね……――なんて書いてあったのさ?」
 ソウイチはまた妙な微笑みを浮かべる。
「――『探しものは、なんですか』――」
 それでテツヤ以外の三人は納得したらしかった。事情の呑み込めていないテツヤを置き去りにして、ヤヨイとミナとルミは、ソウイチをじっと見つめた。
「…………見つけにくいものだろうねえ」
「見つかると思うか?」
「そうだねェ。見つかるといいね」
 ねー、と、ミナとルミも追随した。
 ソウイチまでもがテツヤをじっと見つめて、ほんとうに訳がわからなくなったテツヤはうろたえた。
「……え? んな、何……」
「おそらく手紙は増える。総会の回数を増やそう、明日も同じ時間に集合だ。いいな?」
 総会の回数を増やす、と言ったソウイチの提案に、まずミナとルミが楽しそうに「はーい」と手を挙げた。
「えっ、」
 ヤヨイも木刀を担ぎなおして「おう」とドヤ顔をする。総会が――彼女にとっては集会なのだろうが――楽しくて仕方ない、という風であった。
「えー……!?」
「お試しとはいえ入居早々こんなに忙しくなるというのは自治会役員としてはイイことだぞはっはっは。だからあきらめて頑張れ」
「あきらめて!? いまあきらめてって言ったか!?」
 先程までの眼光鋭き総長の顔からはうって変わって、なんともフレンドリーな様子でヤヨイがテツヤの肩をたたく。
「ま、頑張んな、兄ちゃん……テツヤだっけ? せっかくこのマンションの、しかも角部屋に住んだんだ。なんか見つけないと、つまんないよ?」
「え? ……それって……どういう……?」
 テツヤが聞こうとした瞬間、ソウイチがデスクの上のファイルをぱたんと閉じた。
「はい本日は解散! 三階役員は早く寝ろ、明日も学校だろう?」
「はーい。おやすみなさい」
「おやすみなさーい」
 ミナとルミはぺこりと頭を下げると、手を振りながら出て行った。
 それを見送ったヤヨイも、ひとつあくびをすると
「んじゃ、あたしも帰るわ。おやすみ」
と言って、また窓を開けて出て行った。
「お疲れ」
「普通に玄関から出てけよ!」
「ほっとけ。窓から出入りするのが好きなんだ。――さて、お前はどうする」
「どうするって?」
「引っ越してきたばかりで布団がないだろう。うちに泊まっていくか?」
「遠慮します」
「何もしないから。子守歌なら歌ってやるから」
「いやいやいやいや布団はもうある!! 失礼します!」
 テツヤは逃げるように出ていった。実際布団は持ってきたのだから最初からそう言えばよかったのだが、コアラのように足を絡めてきて「子守歌なら歌ってやる」と言ってきたソウイチがなんとも不気味に思えた。
「客用の布団はいつでもあるから遠慮することはないんだがなあ。はっはっは、こりゃ一週間面白いぞ」


 翌日は朝から雨だった。
 ソウイチは部屋でひとり、窓の向こうを見ていた。
「さすが平井さんだ。天気予報がよく当たる。なァ」
同意を求めたその言葉は、部屋の隅にいた人物に向けられていた。テツヤが部屋を探しにソウイチの店へ来た日、店の中にいた少女だった。
 少女はにっこり笑ってうなずくと、部屋の中をうろうろと楽しそうに歩いていた。
 そのときだった。ソウイチの部屋のインターホンが、ピンポンピンポンピンポンと連続で鳴った。
 なんとなくだが、ソウイチは押し主を察した。
「開いている。入りたまえ」
その想像はなんとも見事に当たった。
「不動産屋――――ッ!!」
 憔悴しきったテツヤが、手の中に大量の封筒を抱えて駆け込んできたのだ。
「四階かあ」
「さっき見たら入ってた!」
「やはり総会を毎日にしたのは正解だったな」
 うむうむと満足げなソウイチに、テツヤは恐る恐る聞いてみた。
「……明日は、五階か?」
「そうじゃないかなーとは思っている」
 どうにもとぼけた雰囲気の彼に、いらだちを隠せない。だが深呼吸して、落ち着いてみて、テツヤは言葉をつないだ。
「なあ、……あんた、なんか知ってるんじゃないのか」
「何を?」
「この手紙を出した奴に、心当たりがあるんじゃないか?」
 ソウイチは、少女をちらっと見た。
 しかしテツヤには、ソウイチの視線の方向に家具しか見えなかった。
 その不思議な一瞬の間のあと、ソウイチはすこしうれしそうにテツヤに問う。
「ほほう。なぜそう思う」
「なんだよいまの間……なんかそんな気がしたんだ」
うーんと難しい顔をしてソウイチは背を向けた。出来のよくない生徒に勉強を教える塾講師の気分だった。
「……理由としては弱いな。が、教えてやろう。このマンションに新しい住民が入る前は、必ず同じことが起こる」
「え!?」
 同じことというのはポストに手紙があふれることか、とテツヤが言うと、そう、とソウイチは言って、向き直った。それはいかにも面白いことが始まった、というような笑顔だった。
「ただし今回みたいに、各階のポストが盛大にあふれるのはかなり珍しいがな。四階役員。お前が私のところに部屋を探しにくる前々日、一階のポストはあふれた。差出人は何を期待しているのだろうなあ」
「やっぱりなんかいるんじゃないのかここ!!」
 テツヤが叫んだ瞬間、インターホンが鳴った。テツヤの身体がびくっと震える。
「入りたまえ」
 ソウイチが玄関へ向けて声を放ったが、誰も入ってこない。
 いよいよ幽霊かとテツヤは震えた。
「ああ……五階役員か。いまここにいるのはお前が話したがってた四階役員と私だけだ。入ってくるがいい」
「え、五階……!?」
 しかしそれでも、玄関先は無音だった。誰かが入ってくる気配さえもなかった。
「仕方ないなあ。慣れるとイイ奴なんだが慣れるまでがなあ」
 ソウイチがそう言いながら玄関方面へ向かいかけたそのとき、豪快な声がした。
「何やってんだいあんた! とっとと入んなきゃ集会始められねェだろーがっ!!」
 玄関先から聞こえたのはヤヨイの声だった。窓から出入りするのが趣味ではなかったか? テツヤがそう思っていたら、ソウイチがため息をついた。
「あーあ二階が来た。だから集会じゃなくて総会だっていうのに。雨だから玄関から来たんだな。入りたまえ、一緒にな」
 雨だから玄関から。それくらいの融通はきくらしい。変なところにテツヤが感心していると、ヤヨイがひとりの若者をずるずると引っ張りながら入ってきた。
「ようソウイチ! 五階のアキラも連れてきたよ!」
「うむ、見ればわかる。半年ぶりだな、五階役員?」
 ソウイチがそう言っても、若者はスマホをいじってばかりで顔を上げようとしなかった。全身真っ黒な服で、近眼だろうか分厚い眼鏡をかけている。なんともステレオタイプな引きこもりだなとテツヤは思った。
 ソウイチのスマホが鳴った。
「……『ご無沙汰してます』か」
「目の前にいるのになんでしゃべらないんだ!?」
「気にするな、五階役員はシャイでな」
「シャイって」
LINE着信音が次々と鳴る。ソウイチはいちいちスマホをのぞきこんで確認した。
「ええと、『四階のひとですね?』――」
「通訳!? なにそれ通訳!? ……ああ、うん、四階ですよろしく……」
 テツヤは半ばあきらめて会話を始めた。
「――『手紙、読みましたか』――」
「手紙ってあの? いや、中身だけは、何が書いてあるか聞いたけど」
「――『探しものは、なんですか』――」
 気持ち悪いほどシーンとした空気が流れた。
 あたりをうろちょろしていた少女は、笑顔で、ゆっくりとそこから消えた。それには誰も気がつかなかった。
 だからテツヤは、頭を抱えながら、会話を続けた。
「……五階がそういうひとだってのは昨日イヤってほどわかったけどさあ。なんで手紙の中身まで知ってんだ……」
「だから言ったろ。新しい住民が来るときには同じことが起こるって」
「あたしらも、もらったんだよ。同じ手紙をね」
「まさか五階が送ったんではないんですか」
「違う違う。その証拠にアキラももらってんだよ?」
「え」
 アハハと笑いながらヤヨイは言った。
「そして見つけたのさ。探しものをねェ」
「なんですか、探しものって……」
 ソウイチはテツヤの持ち込んだ手紙をひとつひとつ開封していた。
「そりゃひとそれぞれだろう」
「それにしたって同じ内容の手紙ばかりこんなにたくさん送らなくても……!」
「どうしても見つけてほしいのさ。だからしつこく手紙を送る」
「見つけてほしいって……誰が、何を?」
「誰でもない。自分の探しものは自分で探すしかないだろう? なくしたもの、なくしそうなもの……このマンションの住民はみんなそうだ」
 意味がわからなかった。少なくともテツヤは、なくしそうなものはなかったと思うし、仮になくしたものとやらがあったとしても、しゃにむに見つけなくてはと思ったことはなかった。それをどうしても見つけてほしいというのはどういうことだろう。自分の知らない、なにかなくしたものがあるのだろうか。それを知っている誰かが、手紙を出し続けているのか。テツヤの背筋が寒くなる。
「あたしたち自治会役員はね、仲介をしてるのさ」
「なくしものを……探す、仲介ですか?」
「ちょっと違うね。なくした探しものを見つけるための仲介さ」
「昨日、二階の五号室の話、聞いてたろう?」
「ああゴミ放置のひとと七時間居座ったオバチャン……」
あれもそうなんですか、とテツヤが聞くと、ヤヨイはうん、とうなずいた。
「三号室のオバチャンは、越してきたころずいぶんイライラとしててねェ。ポストは毎日オバチャンの投書で満杯だったよ。それこそあの手紙の入る余地がないくらいにね」
「……でもいまは……?」
 投書はないはずだ、自分あての手紙があれだけ来ているのだから。
「二階役員がうまいこと誘導したんだ、そんなに誰かと話したけりゃ直接いろいろ話せとな」
「でもその結果住民に出てかれてないですか?」
五号室の人間は三畳一間の部屋を紹介されて出て行った。それは誰にも得にならないだろうに――
「出てってない住民もいる。そういうことだ」
「いいんですかそれで」
「ここはね、めったに出てかないのさ、住民が。よほど居心地がいいんだろうねェ。それか……見つけた何かを、逃がしたくないのかもねェ」
「よくわかりませんが。でも、それなら誰が送ったものなんですか、この手紙は」
 空気が冷えた。まただ。核心に迫ろうとすると、彼らはいつも黙る。
 冷えた空気に、ヤヨイがメスを入れた。
「とりあえず、今日も手紙は届いた。明日はきっと五階だろ?」
「だろうな」
「三階の子たちは来ないんじゃないかね、今日は。さっき部屋に寄ったら宿題にヒーヒー言ってたからね」
「そうか……なら、今日の総会はここまでだな」
「え!?」
 ソウイチが解散を告げた瞬間、LINE着信音が鳴り響いた。のぞきこんでから、ふいっと部屋の中を見渡して、ソウイチはテツヤの肩をたたいた。
「四階役員。明日は五階に寄ってから総会に来てくれ」
「は?」
「五階は明日欠席だそうだ。お前が代わりにポストから手紙を取ってこい、たぶんあふれる」
「五階っ!」
 テツヤは慌ててアキラの姿を探したが、いつの間に帰ったのか、その姿はすでになかった。
「……もういない!?」
「フットワークが軽いんだよねえアキラは」
「それでなんで引きこもりなんだ……」
「もともといじめられっ子から引きこもりになったらしい。引っ越してきて……あいつは若干の要領の良さを見つけたんだ」
「もうちょっとなんだよね。見つけてしまってから先のことが」
「……先のこと……」
 まだわからないことばかりだった。見つけるだけでは足りないのだろうか。だとすると、それは【モノ】ではないのかもしれなかった。でも、じゃあ、どうやって見つけたらいい? テツヤは首をひねったまま、ソウイチの部屋を出た。


 変なところで律義なテツヤは、次の日、真面目に五階のポストへ向かった。ただし、「なんで俺がこんなこと」「お試しなのに」「ああめんどくせえ」などとぶつぶつつぶやきながら。だからそれこそ五階ポストの存在を認識するまで、下ばかり向いて、ポストに近づいてくる人影に気がついていなかった。
 ――もっとも、ほんとうは気がつくはずがなかったのだが――
 テツヤの身体に、何かがぶつかった。それはテツヤよりずっと小さく、重みもあまり感じなかったが、ぶつかった、と認知するにはじゅうぶんなものだった。
「わ」
 ぶつかったほうからも、「ひゃ」と小さな声が出た。何かがすこし、こぼれ落ちる。テツヤは慌てて、それを拾った。
「あぁごめん、大丈夫?」
 相手がとても可愛らしい声で「ん、大丈夫」というので、テツヤは安心する。
「はい、これ、封筒――」
拾って、手渡そうとしたものは、封筒だった。しかも、ここ数日で、だいぶ見慣れた茶封筒――――
「封筒!? これ……君、」
テツヤはそこで初めて、相手の姿をはっきりととらえた。今時分なかなか見ない、着物を着た少女だった。だがその手の中には、
「ウワアいっぱいある!!」
無数の茶封筒が抱えられていた。
「…………!!」
 少女はあわてて散った封筒を集める。
 テツヤはうろたえながら、しかし、少女をまっすぐ見た。
「まさか……君が手紙の送り主か! なんでこんなことしてるんだ?」
そこまで聞いて、テツヤはハッと思いつく。
「じゃあ、俺の探しものってなんだ? 俺は何を見つけなきゃいけないんだ?」
 少女もうろたえていた。自分の身体をあちこち撫でて、混乱しているようだった。
「……見つけるのは、そのひとだから……!!」
ようやく、少女はそれだけ絞り出すと、走って去って行った。あとには、大量の封筒が残された。
「なんだ……!?」
 テツヤはただ呆然と立ち尽くすのだった。


 夜、テツヤが部屋を出るより早く、ソウイチとヤヨイとミナとルミが、テツヤの部屋にどやどやとやってきた。四人とも、悩んでいるような困っているような、神妙な顔をしていた。テツヤは訳もわからないまま、なんとなくその輪の中に加わった。四人が四人とも自分の座布団を持参してきていたのだ、「帰れ帰れ」とは言いだしにくい雰囲気であった。
「……今日の総会は緊急で四階に集まってもらった」
「なんで俺の部屋なんだ」
 ヤヨイはテツヤが拾い集めた封筒を持ち上げながらため息をつく。
「まさかレイを見るなんてね。イレギュラーにもほどがあるねェ」
「レイ……? あの子はレイっていうのか?」
「どうしておにーちゃんには見えたの?」
 心底不思議そうな顔をしたミナに、テツヤは「ええっ」と叫んだ。
「普通見えないの!? やっぱり出るんじゃないかここ!」
「すこし黙れ四階役員。……お前が「出るのか」と聞いたのは幽霊だったろうが。だから私は「そんなもん出ない」と言ったんだ」
 ソウイチがたしなめる。
 でも幽霊じゃなかったなら一体……? テツヤはまたわからなくなった。
「レイは幽霊とはちょいと違うんだよねェ」
「だって役員さんだもんね」
 ねー、と、ルミもうなずく。
 みんなあの少女――レイの存在を、知っているのだ。
「役員!? そんな得体のしれない子が!? 何階の!?」
「〇階だ」
「ゼロ……!?」
 地下、という意味ではなく? テツヤがそう聞くと、ヤヨイとミナがうなずいた。
「幽霊ってよりゃ妖精みたいなもんだよね。見つけるきっかけを、作ってくれる」
「だからね、見つけないと、見えないんだよ」
「待って、じゃ俺はもう、なにか見つけてるってことか……?」
「わからん。だがこういう事態が起きたとき、大体レイは眠ってしまうから……忙しくなるぞ」
「眠る?」
「普通は見えないはずの子だからね。ほとぼりが冷めるまでいなくなるんだ」
 テツヤに見られたとき、彼女が焦っていた理由が、ようやくわかった。
「でも、そうすると、マンションのひとたちが、仲悪くなるの」
「えぇ?」
 ソウイチが説明する。
「妖精でだめなら座敷童子とでも言ってやろう。レイはこのマンションの住民のバランスを保ってるんだ。幸せもそうでないことも、全部。だから眠りに入るというのは、バランスが崩れることを意味する」
「崩れたバランスをどうにかするためにも、あたしたちはいるんだ。いやァ……前に眠られたときには大変だったよ、アキラが見ちゃったときだったけどね」
「五階が!」
 瞬間、LINE着信音が響いた。
 ソウイチはスマホを見ながら、ヤヨイに指示を出す。
「その五階からだ。さっそくもめごとらしい。二階役員、おさめてこい。こういうのはお前が向いてる」
「あいよ!」
 ヤヨイは木刀持参で駆け出した。
 救急車の予約が要るだろうか。一瞬だけテツヤはそう思った。
「その前に見ちゃったのはアネゴだったよね」
「だったねー」
 ミナとルミが懐かしそうに言う。
「え。ヤヨイさんも?」
「……まあだいたい役員が何かしらを見つけたあとにレイを見ちゃってるな。たぶん役員の特権なんだろう」
「……ヤヨイさんは、なにを見つけたんですか?」
 聞いてみる。あれだけ破天荒な女性が、なにか見つけなければならなかったものがあるのか。
「二階役員はもともと超マジメでなあ。見つけたのは、自分の殻を破ることだ」
「アレじゃ破りすぎじゃないですか」
「いやそうでもない。いまも眠る前にはポエムを読むし、好きな番組はNHKの大河ドラマだ」
「だからアネゴは日曜日、集会しないの」
「しないの」
「……意外」
では【なくしたもの】というのは、そういうよりは【もともと、ないもの】の可能性もあるのか。テツヤは心当たりをたどるが、やはり、思いつかない。
「しかしまァ、代償はでかい。しかも今回は見つけたかどうかもはっきりしていないからな。たぶんおさめるのに一週間以上かかるぞ四階役員、レイは一度眠ったら長いんだ」
「俺お試しだったでしょう!?」
「レイが眠ったのは誰のせいだと思ってる。幸いお試し期間が終わるまでにはまだ時間があるからな、せっかくだから手伝っていけ!」
 誰のせいかと聞かれればそりゃあ自分のせいだが、一週間を過ぎるということは、彼女の帰国にも間に合わないかもしれない……テツヤはそう考えていたが、いますぐ荷物をまとめて出ていこう、という考えには、不思議とならなかった。
 ソウイチの携帯が鳴る。
「三階! つぎはそっちだ、行ってもらえるか?」
「はいっ」
「行ってきますっ」
 ミナとルミも駆け出した。
 子どもにそんなの任せて大丈夫なんですか、とテツヤは聞いたが、ソウイチ曰く、慣れているのだそうだ。確かに、ヤヨイのときも、アキラのときも同じことをしたのなら、このことに関しては古株なのかもしれなかった。つくづく不思議な住人たちだ。テツヤは思っていた。
「さて、四階の連絡はまだだな。私は自分の部屋で待機するとしよう。四階役員、何かのときのために連絡先を教えておいてくれ。LINEIDとは言わん、メールでいい」
テツヤは黙ってポケットからスマホを出した。たぶんそれが一番いいのだ。


 そうして、三日が経った夜。
 一階のもめ事を完璧におさめて、やれやれと部屋に戻ったソウイチは、完全に油断していた。
「ただい……ワア!」
自分のデスクに誰かが変なポーズで突っ伏している。ぐったりしているのでまさか強盗ではあるまい。ソウイチはその人物の尻や背中を叩きながら、顔をのぞきこみにいった。
 ぐったりしていたのは誰あろうテツヤであった。
「なんだ四階役員か? ひとん家に勝手に入るとはけしからん」
テツヤは身体を起こさないまま、ふてくされたように言う。
「カギが開いてた。どんだけ不用心だ」
「役員が入れるようにはしてるからな」
「俺役員だろ」
 意外な返事が来たので、ソウイチは感心した。
「……ほう。ずいぶんと殊勝なことを言うようになったな、この三日で」
「あれだけ働かされたらな……」
「しかしいい経験だったろう」
 テツヤは四階に住んでいたシーメールとヒーフィメール――要するにニューハーフたちの喧嘩の仲裁をさせられたのだった。
「危なく両方の店にスカウトされるとこだった!!」
「役員はだいたいみんな通る道だ」
「雑食すぎるわ」
「文句はそれだけか四階役員」
 まだある! テツヤはそう叫んで、ようやく体勢を立て直した。
「なんで俺がペットショップのマネごとしなきゃならないんだよ!」
「インコ五羽にミニチュアダックス三匹。チワワが四匹。マンチカンが一匹にミックスの子猫が六匹。そして金魚の水槽が二十ケース。まあさぞかし賑やかだったろうな」
「どんだけ金魚飼ってんだこのマンションは!」
「お前だって熱帯魚飼ってるじゃないか。レイが眠った影響で動物たちも機嫌がよろしくないんだ。お前の部屋が一番モノがなくてちょうどよかったよ」
「そういう問題?」
ひとしきり文句とツッコミはすんだ。テツヤはふいに、冷静になった。
「……なあ」
「どうした」
「本当にあんたたちはずっとこんなことをしてきたのか」
 ソウイチはごく当然のように答えた。
「そうだが?」
「嫌だなーと思ったことはないのか?」
「ないなあ」
「なんで!」
「お前は最初に言ってたな。『ご近所づきあいは好きじゃない』と。残念ながら我々は大好きでな。特に、このマンションに来てからは」
 テツヤは自分の言葉と、それから、このマンションにお試しで入った当初のことを思い出しながら、何も言えなくなった。
「…………」
「お前は嫌だと思っているか? こんなことが」
「…………わからん」
複雑だった。確かにこのマンションに来る前の自分なら、嫌だと思ったろうし、自治会だって関わりたくなかっただろう。だが、いまは。お試し中の、いまは――
「そういえばお試しはあと一日だったな。貴重な経験だったろうが、こき使って悪かったな」
「――えっ」
ふいに言われて、テツヤは戸惑った。詫びられた? ソウイチから『悪かった』という言葉を聞くなんて思わなかった。テツヤが何か言おうとした瞬間、インターホンが鳴った。
「入りたまえ!」
わわっとテツヤは慌てて自然を装う。たぶん役員たちのはずだ。果たしてその予感は当たり、ヤヨイ、ミナ、ルミ、アキラまでもがソウイチの部屋にどやどやとなだれ込んできた。
「お疲れ、ソウイチ!」
 そこまで言って、ヤヨイはテツヤに気がつく。
「なんだテツヤ、来てたのかい?」
「お部屋寄ったのにいなかったから、もしかしてとは思ったけど」
 続けて着信音も鳴った。
「五階のほうもだいたい落ち着いたらしいな」
 アキラはスマホを握ったまま、ヤヨイの陰でうなずいた。
「まあね、でも今回は前より楽だったからねェ」
「楽!? あれで!?」
 テツヤはぎょっとした。自分は三日にわたって苦労したが、ヤヨイたちは実にさばさばとした顔だ。
「いつもはもっとこじれるの」
「たいへんなの」
「こっちで把握してるトラブルも、いつもの半分以下だった。珍しいことだ」
 全くだよ、いつもの比じゃなかったもんねェ、ヤヨイは言って、続けた。
「でね、せっかくだからお疲れさん会でもしようと思ってねェ。ほら、四階のお試し、明日までだろ?」
 明日までと言われて、またテツヤはハッとする。そうだ、さっきソウイチも言っていたが、お試し期間の一週間は明日で切れる。
「……それは、」
 ソウイチは疲れているのか、イマイチ乗り気ではなさそうだった。
「明日すればいいじゃないか」
「パーティーは何回やってもいいもんだってアネゴが言うの」
「だからいっぱいお菓子買ってきたのー」
 スーパーの大きな袋を抱えたミナとルミが、デスクに袋をどんと置く。
「俺は、その、」
 終わり……明日で。
「こういうのも嫌いか?」
「――――いや、そうじゃ…………」
 否定しようとしたのか、それとも別の言葉をつむぐつもりだったのか、言いかけたテツヤのポケットが、メロディーを奏でた。
「あ」
テツヤはスマホをのぞきこんで急に挙動不審になった。取りたいが、環境が。
「なんだ、彼女か?」
 真っ先にソウイチがそう言うと、全員が盛り上がった。
「おやおやお安くないねェ!」
「ヒューヒュー! ヒューヒュー!」
「四階、出ろよー、早くー。切られるぞー」
「ちょ、やめてくださいよ! ミナちゃんもルミちゃんもそういうことしないの!」
 テツヤが通話ボタンを押そうとした直前、アキラまでもがニヤニヤと笑った。
「いいですよ出て」
「お前はこんなときだけしゃべるんじゃないよ! つか初めて声聞いたわ!」
 なんとか通話ボタンを押す。
「もしもし、あっ、うん、お……」
「もしもーし! もしもーし!」
「こんばんはー」
「どーもー、お世話になってまっす!」
話が先に進まない! テツヤは全員を「ウー!」と威嚇すると、無理矢理離れた。
「ちぇ、つまんないねェ」
「まあ観察してこうじゃないか。こっち来い来い三階役員」
「はーい」
楽しそうに言いながら、役員たちはソウイチのデスクで事の成り行きを見守った。
「……周り、うるさいだろ、ごめんな? え、いま? ――いいけど」
 テツヤは露骨に背を向けた。何か重要な話でもあるのかと役員たちは首を伸ばして耳を澄ます。
「――――えっ!? マジか!?」
 突然のテツヤの声に、役員たちはびくっとした。
「まさか破局じゃないだろうな」
「まさか……」
「でも……」
 そんな役員たちのひそひそは、テツヤには届いていない。
「うん。……うん……じゃしばらく……? いや、そりゃ当然だよ! うん」
 真剣になったり、にたにたとしまりがなくなったり、まるで百面相のようにコロコロ顔と声のトーンを変えながら、テツヤは電話を続けていた。
 そのときだった。――先に気がついたのはソウイチだったが――部屋の片隅にふわっと光が浮かんだ。
「……レイ!?」
 テツヤ以外はみんなソウイチの向いたほうを見た。
 そこにはレイが手を振りながら、にこにこと笑っていた。
「眠ってなかったのかい! あー、だからトラブル少なかったんだ……!」
 レイはみんなに「しー」というふうに指を口に当ててみせた。
「レイさん、笑ってる」
「笑ってるね」
 レイがいま笑っているということは……
「……心配の必要はないということか?」
「まああんなしまりのない顔心配しても仕方ないだろうけどねェ」
 まったくだとソウイチはうなずく。何かいいことでもあったのか、なんなのか、よくわからないが。これは詰問の必要がありそうだった。
「うん……うん。わかった。待ってる。待ってるから、ちゃんと、落ち着いたら帰っておいで。あの、俺も、休みとったらそっち行くから。大丈夫、俺の上司、そういうことには気がきくから」
 ともすると失礼な言い方に、意外にもアキラが眉をひそめた。
「あんなこと言われる上司のひとが気の毒ですねえ」
「お、引きこもりの割には社会の縮図がわかってるじゃないか」
「ネットが教科書ですから」
 ソウイチはすこし笑って、アキラの肩をたたいた。
「そろそろ教科書の種類を増やしたらどうですか」
「……考えときます。近いうちには」
 ソウイチは満足そうにうなずくのだった。
 ところで、テツヤの会話はまだ続いていた。
「じゃ……うん。いい医者かかって。水に気をつけて。うん」
 ようやく電話を切ったテツヤに、役員たちはわっと群がった。
 レイはまだ、その様子を遠くで見ていた。
「彼女さん、どうしたの?」
「どうしたの?」
 テツヤは頭をかきかき、とりあえず、といったていで、言った。
「あー……海外出張、延びました」
「延びたァ?」
「落ち着いたら、と言っていたな。いい医者にかかれ、とも。病気か? ……いや、」
 ソウイチはぶつぶつ言いながらうろうろしてみた。視線の先に、レイがいる。
 レイはもっとにこにことして、「違うよ」というふうに手を振ると、とんとんと自分のお腹を叩いてみせた。
 それでソウイチはすべてを察した。
「…………!! 四階役員! 貴様! 役員には年端もいかない子どもがいるんだぞ、お前これをどう説明するんだ!!」
「えっ……いやその、」
 ヤヨイもどういうことなのかとすこし考えたが、レイを見るまでもなく、ソウイチの動揺で事態を把握した。
「あ。そういうことかあ! なんだいソウイチ、案外保守的なんだねェあんた?」
「アネゴ、わかんないよ」
 わかんないよー、と、ルミも言う。まあ当然だろう。このふたりにはソウイチが言った通りうまい説明のしようがない。ヤヨイは、ハテナマークのままのふたりの頭を撫でながら、一番いい表現を探した。
「テツヤに家族が増えるってことさ。めでたい事じゃないか! 祝ってやんな! お疲れさん会転じて祝賀会だ!!」
 アキラはそれを聞いて、すぐにスマホをいじり始める。
 ヤヨイはソウイチの部屋の窓を勢いよく開けると、外にいたたくさんのヘッドライトたちに一斉号令をかけた。
「お前ら! いますぐ祝いのくす玉作りな!! コンビニとドラッグストアで色紙買い占めといで!!」
 うおおおおおおーと、窓の外で一層大きな歓声が上がる。大勢の拍手も交じって聞こえた。
「いつからいたんだっ!! しかもいまどきくす玉て!!」
「うれしいんじゃないのかい? あんた、顔。笑ってるよ」
 不敵に笑うヤヨイにそう言われ、テツヤは自分がいい笑顔になっていることに、初めて気がついた。
「え……」
 本当だ俺、笑ってる。うれしいのか。祝ってもらって。めんどくさいって……思ってないのか……テツヤは自分の顔をペタペタと触りながら、複雑な気持ちになった。
 そのとき、テツヤのスマホがまた鳴った。ただし、今度は、メール着信のメロディーだった。
「メール? ええと……『おめでとうございます』!?」
 テツヤはぞわっとしてアキラを見た。スマホをふりふりとしながらドヤるアキラの顔が目の中に映る。
「うわあああもう! そういうのこそしゃべれよ五階!! てかなんで俺のアドレス知ってんだ!」
「私が教えたはっはっは」
「不動産屋!! あんたってひとは!!」
こいつひっつかんで一発は殴ってやらなきゃ気が済まない。テツヤはソウイチを追いかけたが、部屋の中、ソウイチはひらりひらりと身をかわして楽しそうに走るのだった。
 テツヤも、捕まらないソウイチを追いかけながら、不思議な高揚を感じていた。
 ヤヨイはその様子を見てふっと笑うと、アキラに声をかける。
「アキラ! あんたも手伝いな、くす玉!」
「は、はいっ」
 ヤヨイにつき従う舎弟のように、アキラは後を追ってソウイチの部屋を出た。
 テツヤをからかいながらひとしきり走ってしまうと、ソウイチもミナとルミに声をかける。
「さあて、じゃあ我々は輪っかでも作って飾るとするか」
「作りまーす」
「作るー」
 ミナとルミはばんざーいと手を挙げた。よくわかっていないが、おめでたいことには間違いがないのだ。これからとっても楽しいことが始まる、ふたりともそう感じていた。
「これから祝賀会じゃ時間が遅い。総会と兼ねてしまおう。明日の総会はここ、一階角部屋だ。いいな? 四階役員」
 走り続けてソウイチを殴ることもなにもかもどうでもよくなっていたテツヤは、また、その言葉を反芻した。
「明日、……」
「最後の日だ。最後にするかどうかは、お前次第だけどな。さあ、行くぞー」
 はーいと手を上げて、姉妹は部屋を出る。たぶん三階角部屋でソウイチと輪っかを作るのだろう。もしかしたら、帰りが遅いという母親とも一緒になって作るつもりなのかもしれなかった。
 自分の部屋ではないというのに、テツヤはひとり、ソウイチの部屋にぽつんと残された。
「探しものは、なんですか?」
声が聞こえた。テツヤは思わず、その方向を向いた。
「――――え?」
 レイがいた。さっきからいたのか。まったく気がつかなかった。
「……レイ?」
「見つけにくいものでしたか?」
テツヤは黙った。俺の、探しもの……探さなきゃいけなかったもの……
 すこし、沈黙があって、テツヤは顔を上げた。その顔はとてもさっぱりしていた。
「――そうでも、なかった。あったんだな。見つけられるもんなんだな」
「明日は……最後の日ですか?」
さっぱりした顔のまま、テツヤは笑った。その笑顔は苦笑にも近かったが、しかし、これだけは、はっきりと答えが出た。
「いや、違うよ。俺は役員だからな。四階の」
「ですね」
 そうして、レイも笑った。
 部屋は、しばらく、ふたりの笑い声であふれていた。


 翌日の総会はまさにドンチャン騒ぎといってもよかった。
 大量に調達された菓子と酒とジュースと寿司とか揚げ物とかとにかく所狭しと宴会料理が並べられ、いつの間にか混ざっていたヤヨイのチームメンバーがいい気分で芸をやったり、ミナとルミも歌を歌ったり、とにかく総会というよりは完全に宴会だった。
 お開きになったころは、夜もとっぷりと更けていた。
「やれやれ意外に早くつぶれたな四階役員は。それに比べて二階役員の強いこと強いこと……」
 ソウイチが寿司桶を積み上げながらぼやいた。玄関のわきにはごみ袋がトーテムポールのように積み上がっている。
 ヤヨイがチームメンバーに命じて、ソウイチの部屋を完全に掃除して帰ってもらったのはよかったが、今度のゴミ出しはステーションが大変なことになるだろうから、何日かに分けて出したほうがよさそうだった。
 ソウイチは気配を感じて、その名を呼んだ。
「――――レイ」
 ぼう、と、光が集まって、レイが出てきた。
「よかったね。テツヤさん」
「あの様子じゃお試しどころかずっと住み続けるだろう。結局、めでたく見つけたようだしな」
「そうだね」
 ソウイチは椅子に座った。
「感謝する」
めったに口にしない言葉だった。レイも不思議そうに首をかしげる。
「どうして?」
「いつも――お前が見つけてきてくれるじゃないか、探しもののある奴を」
「でも、その先は、そのひと次第だもの。わたしにはそれ以上、何もできない」
「わかっている。……お前は、どうなんだ」
「うん?」
「見つけているか。探しものを」
「大丈夫。だからここにいるよ」
「――そうだな。お前にとっては、このマンションの住人たちが、探しものか」
「うん」
 レイはそう言ってにっこり笑った。
 ソウイチはふわっと、不安に駆られて、身構える。
「……今度こそ、しばらく、眠るのか?」
やはりソウイチといえども、トラブルに巻き込まれるのは相当に疲れるのだ。そういう意味では、タフなヤヨイがソウイチはとてもうらやましかった。
 だがレイは首を横に振った。
「ううん。また、探すの」
「どうして?」
 眠る暇などないということか? なぜ? ソウイチが聞くと、レイは、自分の懐から、茶封筒をふたつみっつ取り出した。
「だって、見つけなきゃ。二階の五号室。ね」
「ああ、ゴミの……」
「元のひと、戻ってくるかも、しれないけれど」
「そのときは三号室のオバチャンが話し相手になるだろう」
 レイはそれを聞いて微笑んだ。それならきっと探すまでもないかもしれないね、と言ってから、彼女はまた光に包まれ始めた。
「行ってきます。見つけに」
 ソウイチも柔らかな笑顔になりながら、レイを見送る。
「待っている。役員総出でな。忘れるな、お前も役員だ」
「ありがとう」
 ふわーっと光が大きくなった。レイの姿は消えたが、トラブルの電話は、それからしばらく待っても、かかってこなかった。


 それからテツヤはお試しをやめて正式に四階角部屋の住人になった。彼女は安定期に入ってから帰国する予定だそうで、彼は熱帯魚とカブトムシに餌をやりながら、彼女の帰りを待っている。
 ヤヨイは相変わらず毎晩集会に出てはポエムを読んで眠るようだし、ミナとルミは母親のお手伝いをしながら学校にもちゃんと通っているとのことだった。
 アキラは最近高卒資格や就職情報の検索を始めたらしい。ときどきくるLINEでの報告に、ソウイチはうれしくなった。
「さて、と」
 今日は二組ほど賃貸相談に来る予約が入っている。ソウイチはファイルを手に取ると、資料を並べて支度をはじめた。
「2LDK四万五千円のお部屋。いま空いているのは二階です。自治会費が高いんでね、このお値段ですが。ペットもOK、規則は比較的ゆるめです。え? 住民との付き合い? ああ、その心配はありません。――きっと、お気に入りますよ、お客様」


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